いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

加藤紘一 神の国by薩長 鱸成信 伴兼之

2005年06月21日 07時17分13秒 | 日本事情
ネットでたまたま、下記のような加藤紘一の発言をひろった;

自民党の加藤紘一氏は22日に行われた化学関係学協会連合協議会主催の「科学技術立国日本」という講演で森首相の「神の国」発言にふれ、「薩長が江戸幕府と対決するために、神として天皇陛下を利用し、1945年まで異常な時代をつくってきたと思う」と述べた。日本人にとって神は「土着の山岳信仰みたいなもの」、「天皇家はその自然と人間との間を結ぶ、神主さんの頭領であって、日本社会の中で権威として存在してきた」と述べた。

ここで見つけました。

発言内容から見て、小泉内閣の前の森内閣の頃、かつあの「加藤の乱」の前だろう。

 ちなみに、加藤は庄内は鶴岡の代議士。酒井・庄内藩は幕末、鳥羽伏見の戦いの直前に江戸の「薩摩藩邸焼き討ち」を行った。この報せが大坂に届き、幕府主戦派をぶちぎれさせ、京都進軍となった。この一連の事件は、今となっては、西郷隆盛の描いたシナリオだとわかってきている。つまり、京都で慶喜・幕府軍と膠着状態となった討幕派が、ちゃんと戦争になるように幕府を挑発したのである。その挑発とは西郷が浪士やごろつきを江戸の薩摩藩邸に集め、彼らを江戸市中に出撃させ放火・強盗をさせて江戸を撹乱した。テロ行為ですよ。テロ行為。

 そんなテロ行為を取り締まるのは当然であり、譜代大名の酒井が治安維持のため薩摩藩邸を改め、その結果戦闘となったのが、現在「薩摩藩邸焼き討ち」と呼ばれる事件である。この呼称もひどいな。これはまるで、オウム真理教の上九一色村の宗教テロ施設の強制捜査を、「サティアン焼き討ち」とオウムがいうようなもんだ。そんなわけで酒井・庄内は薩摩の怨嗟の的となり戊辰戦争では薩摩と闘うこととなる。

 テロリストの親玉、西郷南洲隆盛は著作などないのであるが、西郷南洲の言動は今では『南洲翁遺訓』としてわれわれは読むことができる。これは、元庄内藩士の伴兼之らが西郷の言を書き取ったものである。なぜ伴ら庄内藩士が西郷の言に触れたかというと、戊辰戦争で庄内が薩摩に降伏したとき薩摩・西郷が「寛大」な処分をしてそれに庄内藩士たちが心服した。その中で2人の若者が薩摩の西郷のもとに弟子入りした。そんないきさつで西郷の言が庄内藩士に書き残された。ちなみに、その伴兼之らは西南戦争に薩摩軍に参加、死ぬ。戊辰戦争で「賊軍」として死に損なった庄内藩士がりっぱな賊軍として薩摩で死んだのである。この西南戦争に、伴兼之の兄鱸成信は政府軍として出兵、同じく薩摩で死んだ。


テロ成功!       テロ失敗。