goo blog サービス終了のお知らせ 

いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

彼岸花もどき

2005年06月08日 06時14分13秒 | 日本事情

彼岸花もどき

なんていう名前なのでせう?

石原都知事は陥落したようだ。あの側近がいなけりゃ、ほんとに裸の王様。後任が全部生え抜きの役人というのだから、これはもう実力家老とばか殿/押し込められた殿様にしかなりえない。

一方、小泉純ちゃんも包囲網を前に陥落するのだろうか?

おいらは、彼が就任したころの熱狂的大衆支持も,なんだかな~、だったし。でも、最近の対中突っぱね、戦没者はどう祀るかはその国の勝手、という明言はすごい。あの国会答弁は憑依していた。こいつ、おばかだとおもってきたけど、ほんとは天才、政治の本質をわかっている、「ばか・天才」と心中およびしている。河野洋平みたい小賢しいばかとはちがうな。

それにしても、愚民党の対中腰砕けは、それが本性だったとしても、まぬけである。愚民党も国民もただ中国がさわぐから靖国神社に行かないほうが無難だからというだけである。例えば、素朴なおばかの意見とはこのようなものだ;


たった参拝を止めただけで 中国、韓国と仲良く出来るなら 止めた方が良いと思います。
こういう言い方は良くないけど 亡くなった人より生きてる人を優先してほしいです。
http://blog.melma.com/00141322/20050607205043


2重におばかである。If/thenロジックで書いてるのでそう主張しているわけでないのがわかるが、「たった参拝を止めただけで 中国、韓国と仲良く出来るなら 」ということはありえない。

「亡くなった人より生きてる人を優先してほしいです。」これこそ、現在この列島の愚民の偽らざる気持ちだと思う。そして、こういう考えを普通のひとが普通に思うことがこの「国」の現状なのだ。

あたりまえのことを説明できない愚民党政府。

国家の成立と存続には命を賭す人間の活躍が不可欠である。その行為はしばしばテロ活動であったり、対外侵略戦争であったりするのではあるが、これらの行為なしでは現在の存在も秩序もありえない。さらには、今後とも命を賭す人間が出なければ国家は存続しない。靖国神社は国家の成立と存続には命を賭した人物を神として祀るものであり、取って返して、将来において国家の存続に命を賭す人間に覚悟を要請するものである。こういう「装置」なしでは国家は存続しない。



 テロリストと侵略者。 九段で会えます。

 
テロ阻止尊皇武将と郷土防衛隊。 九段では会えません。


靖国被害者の会、会員番号1番。