いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京時代の参勤交代

2005年06月13日 21時00分55秒 | 日本事情

がきんちょの頃、参勤交代というのはよくできた制度だなーと感激しながら気づいたことがあった。

きっかけは、ある日、江戸時代の約300年の間に殿様は総計何人いたんだべ?と疑問を持った。殿様総計を示した史料などすぐ引けないないので推定した。推定法は、徳川将軍は家康から慶喜まで15代。日本全国藩の数は大雑把で300。15X300で4500人。江戸「300」年で約4500人の殿様がいたんだ、と推定した。後日、この推計値が20%もずれていなかったことがわかった。ところで、その江戸時代の殿様"4500"人はみんな、参勤交代の基本原則に従えば、「江戸っ子」だ。なぜなら、殿様の正妻は江戸藩邸にいて世子(正統な世継ぎ)は江戸藩邸で生まれる建前だからだ。実際は世子が死んだり、国許の側室で生まれた子供が江戸藩邸で育つのだから全員が「江戸っ子」ではないだろう。でも、多くの殿様・若様が江戸で生まれた、江戸っ子なのだ。国許の風土に鍛えられたわけでもない、江戸っ子・坊ちゃんなのだ。坊ちゃんたちは成人して、かつ代を継いではずめて自分の国許を見るのである。

さて、今日加藤紘一氏は町村外務大臣の対中姿勢を非難していた。外務大臣が対中宥和を図らず、中国を批判するとは何事かと!対中宥和派、対中強硬派にわかれるお二方は、もともと国会議員の若様で日比谷高校→東大→役人→2(n)世議員さまであらせられる。国許は町村は北海道は札幌、加藤は山県は鶴岡だ。この2人かぎらずこういう2(n)世議員は多いのだろう。

 
同じ穴のむじな: 2世→日比谷→東大→役人→代議士、一見プリンス風?