水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1327」

2024-08-21 20:45:50 | Weblog


ある気功師・932

だから自分のお金(氣)は自分用として使う。
他人には銀行のお金(自分のではない)を使う。
(自分用にも使う・・・)
ここが一般的な中国気功とは違う。
氣のソース(大元)が違うのだ。

無尽蔵の銀行のお金(氣)を何故使えるか?
引き出すパスワードを知っているからだ。
他人の褌で相撲をとる。
いわば、他力本願・・・

自分の努力や根性が無くても大丈夫。
むしろ、下手な努力や思念、根性は邪魔になる。
アホな自分を動かさない。
私はそういうタイプの氣功師だ。


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「迷想中・迷走中・1326」

2024-08-20 20:37:18 | Weblog


ある気功師・931

私は努力と根性が嫌いなナマケモノ氣功師。
そんな私にも(氣の)金庫はあるが(無い人はいないから)、
金(氣)はそれほど多くない(ナマケモノだから)。
(自慢じゃないけど現実の金は更に無い!)
だから使う時は自分の金庫は開けないのだ。

現実の銀行では、それぞれ個人のお金を預けてあり、
それを引き出して使うのだから自分のお金だ。
もし自分以外のお金を勝手に引き出して使うと、
アレコレ怒られたり、逮捕されたりしてメンドウだ。
だから銀行強盗は止めよう・・・。

ところが「氣の銀行」は自分のお金じゃない。
誰のだか知らないけれど無尽蔵にあるから、
勝手に使っても誰にも怒られない銀行だ。
幾ら使っても、どんな使い方をしても、
誰からもモンクは出ない。
ラッキー♪


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「迷想中・迷走中・1325」

2024-08-19 22:47:13 | Weblog


ある気功師・930

今回は「氣」のソース(源)を銀行に例えてみた。
しかも超ギガバンク(ギガの上の単位を知らない)。
個人が使用するには無尽蔵といってもいいだろう。
つまり「お金」が「氣」だと思ってくれ。

ならば、ワシは大金持ちだ。
何時でも何処でも札束を自由に使える。
なんか・・・気分良くなってきたぞ。
例え話は相手に解りやすくする為より、
自分が気分良くなる為かもしれんなぁ・・・。

一般的な中国式気功は個人の金庫だ。
一所懸命働いて、努力して財産を増やした。
お金は個人の金庫にしまってある。
使うのは自由なようだ。
努力と根性により、お金の量が増えていく。
でも・・・使うと減る。


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「迷想中・迷走中・1324」

2024-08-18 21:20:00 | Weblog


ある気功師・929

超偉人が伝えた方法の一つに「例え話」がある。
(氣の話は何処に行ったんだぁ?)

私は話をしても、迷う事が趣味なのか、
横道から横道に流れる事が好きみたい・・・。
放っておけば、何処までも漂流してしまう。
ああ、このまま宇宙の果てまで行ってみたい。

でも根性は人一倍無いので、戻ってしまう・・・。
「氣」の例え話をしようと思ったのに、
前振り話で一仕事したような気分になってしまった。
キリちゃん(キリスト)ブッちゃん(ブッダ)の話は好きなのだ。
魅力的なオッサン達だと思うなぁ。


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「迷想中・迷走中・1323」

2024-08-17 20:51:26 | Weblog


ある気功師・928

ホンモノの偉人達には共通する癖がある。
オチャメ。イタズラ好き。
これは、多分、神様がそうだからだと思う。
明るい冗談が好きなのだ。
見方によっては・・・ヒネくれている。
この世の仕組みと同じなんだなぁ。

話をするにも、マトモにしなかった。
ウソ(方便)を言うのは当たり前だ。
言葉に仕掛けを作って、パズルにした。
幾つも意味を被せた、多重構造の言葉。
空想、幻想、ファンタジー、SF。
それらを織り交ぜた物語を聞かせた。
相手は例えれば長屋の熊さん、八っあんだ。
笑いを引き出すジョークやギャグは欠かせない。
(弟子は出来が悪いから、マジメで冗談が通じない。
だから経典や聖書からジョークやギャグが消えたのだ。
だから・・・あまり、面白くない・・・)


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「迷想中・迷走中・1322」

2024-08-16 21:04:29 | Weblog


ある気功師・927

アホで愛しい人間だから、経典にとらわれる。
その中に「真理」があると、勘違いする。
超偉人は書かないが、弟子達が書きとめた。
輝く言葉を、広く、後世に残す為に。

弟子だから不肖に決っている。
師匠よりも不出来なんだなぁ・・・
だから経典・聖書などに「真理がある」と言っちゃった。
師匠が聞いていたら、きっと怒られたはず・・・

でも、キリちゃんもブッちゃんも、もういない。
しょうがないよねぇ、自分の弟子だもん(ハハハ)
まぁ、ホンモノは正しさにこだわらないから、
間違っていたって、それほど気にしないかもね。
・・・アホだから、か、可愛い・・・


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「迷想中・迷走中・1321」

2024-08-15 20:46:56 | Weblog


ある気功師・926

「アホな人間だから可愛い!」
この生き方をキリちゃんは「愛」と言い、
ブッちゃんは「慈悲」と言った。
そして、そういう生き方をしていったのだ。

偉人達の凄さを、内容の言葉で紹介しがちだが、
偉人の凄さは言葉じゃなく、その行為なのだ。
優しい気持ちを持つのは難しくないけど、
優しい生き方を続けるのは、とても偉大だと思う

だから内容の解説としてではなく、
「行為」として、皆に話をしたのだ。
「どうせ内容は伝わらない。だけどキッカケにはなる」
キリちゃんやブッちゃんは経典を書かなかった。


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「迷想中・迷走中・1320」

2024-08-14 20:37:22 | Weblog


ある気功師・925

「氣」の事を解説するのは難しい。
複雑だから難しいのではない。
見えない世界の話だから難しいのだ。
今までも見えない世界を伝えてきた人は、
いろいろな方法で解説してきた。
経典・聖書・仏書・神書・神言などだ。

解説といっても、本来は言葉では無理だ。
そんな事は解っている。
「悟った」人(?)達だぜ。
キリちゃん(キリスト)やブッちゃん(仏陀)は
「理解するというのは、頭じゃない。
生き方に活用してこそ理解だ」
と悟ったから、無理を承知で話してくれたのだ。


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「迷想中・迷走中・1319」

2024-08-13 20:25:56 | Weblog


ある気功師・924

他(人)を「思う」事に遠慮もモンクも無い。
他(人)を愛する事は対象が多いほど、
その人と相手達の豊かな人生になる。
愛するとは、明るく思う事なのだ。

「明るい相思」は多いほど世界が豊かになる。
「暗い相思」が多いほど世界は暮らしにくい。
明るいか暗いかは難しくない。
誰でも判る「相思」だ。

(少し意味は違うが)
多情な世界は幸せだが、
薄情な世界は寂しいだけだ。


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「迷想中・迷走中・1318」

2024-08-12 22:24:01 | Weblog


ある気功師・923

「相思癖」を阻むモノ。
それは「裸の自分を見せたくない」事だ。
「嫌われるのが恐い」という意識だ。
これは「孤独」への恐怖からなのだが、
その閉じこもる意識は更に孤独に向かう。

SNSなどで自己表現している人もいる。
だが単なる承認欲求だけで、自己を表現していない。
一部だけの偽りの写真、偽りの言葉、偽りの表現。
そこには悲しいほどに「孤独」な姿がある。

「ええぃ!見るなら、見ろ!
隠すほどのモノじゃないやい!」
この開き直りが「光」を呼ぶ。
実際、秘密にする程の深いモノなど、
普通の人は持っていないのだ。


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