氣功時、自分が自分を離れる。
勝手に離れてしまう。
どうやら冥想状態に近いらしい。
もちろん高僧のする冥想とは雲泥の差がある。
高僧は上品で深遠な真実を冥想する。
ワシは下品のままだし真実など求めてない。
冥想なんてピンからキリまであるんだ。
まして冥想に至る方法の一つの瞑想法。
これもピンからキリまであるんだ。
やればいいってものじゃない。
瞑想法をして「冥想」をしない人は多い。
瞑想法に「こだわる」人も多い。
本末転倒・・・。
ワシは下品のままだが、自分を離れる。
すると観えてしまう事がある。
勝手に観えてしまうのだ。
ワシは観たいとは思わない。
そんなの興味ない。
自分の役は観る事じゃない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)