朝行をしている御寺にも参加させていただいた。
低音の独特の読経が響いている一隅にそっと座る。
チベット読経の中に包まれて瞑想だ。
とても、とても贅沢な瞑想だ。
瞑想は冥想の入り口。
すぐに読経の意味が入り込んでくる。
こ、これは、平和への祈りだ。
そして、写真を撮れという感じがした。
我々と違い、居心地悪そうな添乗員を呼んだ。
我々を含め、瞑想中の写真を撮るようにと。
後に現像された写真には「真っ白な氣」が大きく写っていた。
(当時はデジカメではない)
至福というのは、こういうものか。
この時の読経に包まれた感覚は今でも感激できる。
本当の平和への祈りというのは、幸せの祈りでもある。
調和の祈りでもある。
「私が扱う氣」の本質とも同調する。
気持ちいいのは、当たり前だった。
私ももっと大きく中継できれば、至福まで行けるのになぁ・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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