恐ろしい地震が発生してから1週間がたったらしい。
この1週間は きっと日本の人たちにとって
そして世界中の人にとっても 普通の1週間とは
全く違った どう形容していいのかわからないような
7日間だったのだろう。
私にとっては はじめの2日くらいは
何が起こったのかわからなかった
なんせうちにはテレビがないから
他の人たちが口にしている地震のすさまじさを
映像では見ることもなく 何がなんだかわからなかった
それで何があったか理解したくて
友人の家に朝晩とテレビを見せてもらいに行った
そうしてひたすらショックを受けていた。
それから3日目くらいだろうか
フランス人たちからさんざん原発のことを言われはじめて
彼らの言うことになんとかついていこうとしてたら
沢山の情報を出来る限りチェックするようになり
それから次第に私のフランス語力もアップしたらしく
状況がだんだんと把握でき 何が起こって
これから何が起こりうるのか 少しずつ
頭が整理され始めてた。
今日私 は これからの自分の状況と
この先の日本の状況とを考えながら
いろんな人と話をしてたら
彼らもやっぱりこの一週間ですごく変わったらしく
ある人は「コペルニクス的転換」だと言っていた。
たまたま私は 普通のママの姿をしながら
フランスとつながってたし この1週間ほど
強いパイプを感じたことはないくらいに
フランスから情報がバンバン入って来ていて
それでなんとか情報が理解できたけど
今日話をしてた人たちは この1週間で
ツイッターをしている人としていない人との間に
すごい情報格差があるのだと言っていた
テレビのニュースだけみていたら
入っては来ない情報が 他から一杯入って来ていて
それらを全部重ねた上で 今の状況を把握して
かつ自分の状況と重ね合わせて 自分は何を選択するか
とくに変わらない人もいるだろうけど
日本にとっては新年度。新しい会社に入る人だって
東京の大学に行く人だって 一人暮らしで引っ越し予定の
人だって たくさんたくさんいるわけで
こんな時「東京にはこないほうがいい!」と言われてみたって
念願の東京の大学に受かった人だって沢山いるわけだ。
そんな時 日本の大変な状況と 今の自分の仕事や
立場とを照らし合わせて どんな行動を どんな一歩を
踏み出してみるのか それらがすごく問われてて
もうこれからは「会社がこうだと言っていたから」
「上司がこうしろと言っていたから」そうしましたという
そんな時代ではなくなって 情報をどれだけ集めて
どれだけアクセスポイントをもち そこで
どう自分が動くか そんな時代に まさに
変化しつつあるような気がしてしまう。
こんな時 に 他の言葉が使えていたこと
語学を勉強していたことが 役に立つとは思わなかった
だけどいざという時 誰と話して どこにアクセスできるかで
何かはすごく変わる気がする。頼れる友人を
持っていること いいアドバイスが聞けそうな人が
まわりにいること いい情報源をもっていること
それってとっても大切なんだろう
「だってあのときあなたは大丈夫って言ったじゃないか」
そんな事件は何度も起こった。だからこそ 本当に
大丈夫なのか 全く信頼しないというのも
それはどうかと思うけど 賛成派だけじゃなく
反対派の意見も聞いて その上で判断すること
「何も知らなかったけど そうするものだと思っていたから」と
そんな想いで後で後悔することのないように
情報を集め ちょっと疑い それから自分で判断すること
それってとっても大切なんだ
「あのひとたちがこう言ってるからこうなはず!」と
ひたすらに信じ込むだけでなく 批判センスをもってみること
それで自分は何を選ぶか まさに今の私には
そんな選択がかされてる。