alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

心の声

2011年03月06日 | 私の人生

 ここに戻って来ると私の内なる声はたいてい
いっつも 苦しい 苦しい、、、と訴えていて
だけどなんだかぬるま湯だから そこを出るのも
こわくって それにやるべきことが山ほどあるから
そんなこと言う暇があったら進むしかない!と
そこに向かってみるのだけれど

 
 どこかに気持を吐き出したい。


 とはいえブログはなんだか公のものになっていて
予想さえもしてないような誰かがみているわけだから
(それはおそらくあなたのことかもしれません?)
それでも私が書いてしまうのは ただ書かないでは
生きられない人だから というのもあるけど

 京都において これだけブログを書いて来たのは

 もしかして 近くにわかってくれる人というのが
いなかったから なのかもしれない。


 パリや東京で書くときは おそらく私は
こんなことがあった!とか こういう経験をしたとかで
「伝えたい」という想いで書いているのだけれど
京都でパソコンに向かってひたすら手を動かしているときは
このどうにもならない想いをどこかに吐き出したくて
それがこのパソコンだっただけ で
もし誰か がいたのなら そうはならなかったのかもしれない。


 そう考えると 今置かれているこの状況も
まあ仕方のないことなのかなあ
私はどこへ行くのだろうか
私はどこへ向かうのだろうか
人は夢 を 口にしたなら
そこへ一緒に向かってくれる 誰かを
見つけられたなら それを実現できるのだろうか

 
 今日はモコモコカフェというところで
カフェコーヒーというイベントがあり
そこで楽しくカフェについて、BAR探偵の店長の
吉崎さんと モコモコカフェの店長のくろちゃんと
みんなの前でお話をさせてもらってきたのだけれど
お話を聞いてくれてた中の3人が 自己紹介で
「このカフェが出来る前からかかわっていて、、、」
と言っていた。


 そういえば 今はカフェがあるけど
私も子供を生む前は 彼女らとともに
ちょっと行動を共にしていて
今のカフェの2階はまだ誰かの部屋であったり
1階は土間みたいになってたりとか
その前にパオでカフェをやってたりとか
いろんなことがあったなあ


 もう私も「cafe文化研究家」的な肩書きに慣れ
みんなの前で本の宣伝をするのもだいぶ慣れたりしたのだけれど
彼女達とカフェで語ってた頃 私はまだ原稿を書いてるときで
書き終わって蓮太郎が3ヶ月の時 出版記念パーティとかで
ここに居た人が来てくれたりもしたよなあ
あのころはまだカフェはなかった

 
 そうやって 思い返せば
夢は叶うものなのだろうか。
今日ここにいた吉崎さんは いつか鴨川で会った時
「京都に移るか静岡に残るか」でかなり熱く語り合い
「僕は京都でもやっていける自信があります」と
語っていたな そして今京都でカフェの店長をやっている。


 そうすると 想いをもって 動きだし
協力者 を 見つけていったら
たとえ大金は稼げなくても 夢は叶うものなのだろうか


 私にはよくわからないけれど 今日そこにいて
みんなの前で話をしていた3人は 他の人から見たら
ちょっとは「夢を叶えた人」ということになるのだろうか
そうなのだったら 夢ってどうしたら叶うんだろう


 
 私にはもう何もないから
何もないと思っていたから
失うものさえないと思ってたから
だから私は動きはじめた
そして私は語り始めた
だって何一つもってないから
それでも何かを叶えたかったら
言葉にすること?それ以外には何もなかった。


 私には何もなかった
降ってきたのは希望だけ で
もう死んだ顔して生き続けるのは嫌になったから
希望を持ってみたかった。


 希望があるなら 死ななくてもいいのなら
もしも笑って生きられるなら そんな人生があるのなら
もう一度 そこに向かっていきたい
そう 心の底から思った私は
行動を起こすことにした。



 そうして私は?どこかに向かって行くのだろうか
この2ヶ月で 本はだいぶそれなりの形がみえはじめ
Paris-bistro.comはまたたく間に立派な形になった
夢を実現させるためには?語るだけでなく
協力者、応援してくれる仲間が必要なのだろう。
そんな時 手に負えないくらい大きなものを背負ってしまって
それが回転しはじめたとき、助けて!!と心の中で
叫びながらも なんだか楽しくて笑ってる
それがかつて 人が呼んでた「イイダミキ」という者なのだろう

 だから私は 進むしかない
もう 進み始めてしまったのだから
悲しくなったり 苦しくなったり 弱気になってる暇はない
そう それはよおく わかってる
だけどどこかに吐き出していたい
私は決して強くはないから
道はきちんとひかれてないから
あるのはただ希望だけだから
それでも道がつくれたのなら
何年か後に 今日の日みたいに
「そういえばあのころこんな風に言ってたなあ」って
ちゃんと実現してるんだって 思える日が 来たのなら
これを書いた意味もあるかな?

 時間はとても限られてるから
少しでも前にすすまなきゃ。

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