alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

蓮太郎と二人

2011年03月30日 | 想いをカタチに



 まさかこんなことになるとは、、、

 2ヶ月前には夢にも思っていなかった

 まさかこんなことになるとはという状況は
きっと日本にいる誰もが思っていることなのだろう。


 私の場合は 何ヶ月も前から思い描いてた未来と
1ヶ月前くらいから考えていた未来と それから
日本の状況が どかーんと2週間で合わさって
気持はまさにとるもの手につかずという状況で
ニュースを見ては何かしなきゃと思ったり
得体の知れない不安にかられてとにかく誰かと
話したくって それだけのためにカフェに行ったり
とにかく誰かと寄り添っていたい気分になったり
友達にひたすら電話をかけたり
自分の状況のいろいろで 毎日のように泣いたりもした
何が何だかわからなかった だけど私は段ボールを
ひたすらもらって たくさんの荷物を箱にしまいはじめた
西日本で何かしたくても 私には猶予はなかった
だって もう 2週間前に契約を切ってしまうことに
なっていたから 行き先なんて 他にあったのか
なかったのか 東京にいきたかったけど
誰もが口を揃えて「来るな」と言った。


 そうして私はパリに来た


 何日でそうなったのか

 何が決定打だったのか は

 自分でもよくわからない

 だけどただ 眠りたかった

 もしもう死んでしまうのならば
ここでもいいと思える所で私は死にたい
そう思ってた たくさんの不安をかかえて
勢いにまかせて荷物をつめて
みえない未来と友人たちが勧めてくれる
「タイミング」というものの存在を信じて


 今度は息子と パリに来た。



 本当に?と思うけど

 本当に今日われわれはメトロに乗っていたようで

 本当に?と思うけど

 日本で毎日泣いていたのが嘘みたいに
 
 私の目は活き活きしていて

 しかも不思議でならないことに

 息子の目も輝いている あんた こんな顔するんだね、、、






 この先われらはどうなるのだろう

 これからどうしていくのだろう

 何も先は見えないけれど

 パリはやっぱり気持がよくて

 私も息子も「フランスって楽しいね」と
 笑ってそんなことが言えてる



 こんなこと に 急になってしまったけれど

 だけどこれも 全ての状況がそれなりに
揃ってなければなかったことで
例えば蓮太郎がベビーカーなしじゃどこにもいけないだとか
(思えば1月にフランスから帰ってきてから我等は歩くことを
徹底しはじめたわけでそれまではベビーカーと三輪車だった)
蓮太郎の日本語力と私たちのコミュニケーション能力だとか
私のつたないフランス語力も パリをどれくらい知っているかも
(今回はガイドも持っていなければ地図すら日本に置いて来ていた)
息子がどれくらい私の言うことを聞いてくれるかも
今迄だったら無理だった


 「タイミングっていうのはね 思ったより早くやってくるらしいよ
それをつかめるかどうか神様が試してるんだって」と
6月に航空券を変えようかどうか迷っていたとき旦那が言った
それから私の人生は 大いに変更されてしまって
そりゃあフランスに住もうと本気で思っていたけど
まさか今?いつかが今になってしまうとは
さすがに夢想だにしなかった


 けれども我等は飛行機にのり
関空では出国できませんとチェックインカウンターで突然言われ
しかも息子は下痢でおむつは6枚しかなかったけれど
それでもそれらの旅のみそぎが済むと
意外にも物事はそれなりに進んでくれて
何よりも彼が嬉しそうに 本当に
日本の日々ではちょっとしか見られなかったようないい顔で
あっはっは!!と笑ってくれてる それが私は本当に嬉しい


 この先がどうなるかなんてわからないけど
ゆっくりとフランス語力も上達させて
何か私もこれからの日本の役にたてるよう 少しでも何か 伝えたい。

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