alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

人生

2011年03月24日 | 私の人生

 書きたい 書きたくない 書きたい
書きたい 書くべきじゃない でも本当は書きたい

 そんな気持を地震のあとからずっと
持ち続けていたけれど このブログ は
私自身の記録であって やっぱり私は書いていたい
どうしてかって たぶん書かないと生きられないから
なのだろう


 人生って何なのだろう
夢は諦めるためにあるのだろうか
私のまわりの大人達 は
諦めなさい 諦めが肝心なのよ と
私が子供を産んでから ずっと諭してきたけれど

 それで私もそんな色にちょっと染まって
時折若い人たちのいる場所で 夢って
諦めるためにあるのかな よく諦めろって
言われるんだけどと言ったりすると
「ええ 何言ってるんですか!」と
今度は逆のことを言われて戸惑ってしまう。


 昨日はネガティブモードが全開になり
とても一人でご飯をたべる気になれなくて
四条河原町から御所南まで えんやこらっと歩いて行って
mocomococafeというカフェをやってる友人に
「ねえ夢って諦めるためにあるのかな?」と
きいてみると「何言ってるんですか!昨日夢を
どう叶えるかって書いてたじゃないですか」と
言われてしまう。「でもそれはクロちゃんが言ってたんだよ
私は文章に起こしただけだよ」「でもみきさんだって
言ってましたよ 私たちは他の人からみたら
それなりに夢を叶えた人のうちに入るのかもしれないって。。」


 そう それで 私が最近わかったことは
夢を叶えたかったら協力者をみつけることで
一番大切なことというのは共感なんだ、、、、


 だけど私はすごく苦しい

 どうして?どうして?と人は言うだろう

 私だって答えられない どうしていいのかわからない

 だけど1つ言えるのは 私だって苦しんできた
そんな中でもがいて努力して何度も泣いた
この一ヶ月 どれだけ私は泣いただろう
悩んで悩んで 泣いて泣いて その先に訪れた決断は
未来を開いてくれるのだろうか


 私にはよくわからない こうすべきという価値観も
どうしてそうすべきなものなのか

 わたしにはよくわからない 人が幸せなはずという価値観が
必ずしも全員にとって幸せなはずじゃないということを
簡単にはわかってもらえないことも

 私にはよくわからない この先どうしたらいいのかも

 だけどもし 私にも少しの光が 少しの未来があるのなら
私はきっとまた書くのだろう 疎まれていても
存在を歓迎してもらえなくても それでも書いたその言葉 は
誰かの中に残ることだってあるかもしれない
それでも創ったその場所やその空間は
誰かの記憶に残ってくれるかもしれない
それが誰かの 新しい一歩を踏み出すことになるかもしれない
だから私は何かを創って行くのだろう たとえ
存在が疎まれていても だけと本当は歓迎されたい
だから私はどこかへ行こうとするのだろう

 まだ未来はあるのだろうか
私にも 残された人生はあるのだろうか
もう人生は終わったと思っていた6月から
少しずつ違う方向性が見えて来て 私は随分待ったのだろう
諦め切って死ぬ前に 使命があるなら私はやりたい

フランスに行くなら

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