alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェという場の可能性

2010年09月12日 | パリのカフェ的空間で

 
今日は朝から農楽カフェのつづきがあって
兵庫県は姫路のちかくの 神戸市西区まで
車にのって 伊藤さんちの貸し農園に行ってきた。

 今日のイベント「フィールド農楽カフェ」は
10時から2時までの4時間という枠組みで
打ち合わせの段階までは それで結局
何するんだろう??と頭の中がかなり「?」で
いっぱいだったけど 参加してみると
なんだか流れがまとまっていて、
私もカフェの話をふられて 参加者の方が
理解をしてくれたのかどうかはわからないけど
くすのきエコファーム主催者の伊藤さんが
カフェに随分理解を示してくださり
その説明をみんなのまえでしてくれたのが
私にとってはとても嬉しい出来事だった。


 あいかわらず私の中では もう長年
考えてはみてきたけれど なかなか
結びついてはくれない「カフェ」と「農」という
キーワード。それが結びついたらいいのにな
と 去年の農楽カフェから思っていたけど
今回はだいぶいろんなことが腑に落ちた。


 伊藤さんは熱い人なので「こうやってね
議論したりするのが大切なのよ!カフェみたいに
4-5人でね!」とワールドカフェ形式を
かなり気に入ってくださって、今日の話をするときも
ふだんは陶芸教室の会場兼ガレージだというスペースに
組み立て式の(オリジナルの!)机を設置し
その上に伊藤さんの書道の練習用に使った紙を
並べてテーブルクロス風にして「カフェっぽい」
雰囲気をつくってくださり とても心地よい空間だった。
そのうえお昼は期待をはるかに上回る
とってもおいしいマクロビの、しかも前菜、
メイン、ごはん、味噌汁、デザート、しめに
コーヒー(いいのか?いいよねカフェなんだから!)
からなるお料理を堪能させていただいて
とっても素敵な試みだった。


 こんな風にカフェっぽく、あえて4人一組くらいで
テーブルをセッティングしてとやってみたのも
伊藤さんが こんどはかつての私のように
「そうだ!カフェだ!」と思ってくれたからなのだろう。

 今日はその後じゃがいもの植え付けを体験し
根っからの都会人の私は今に至るまで 農作業体験を
ほとんどしたこともないままで 畑に入って
うねをつくって というそんな経験が面白かった。
そして私より若いのに手慣れた人たちがまわりに沢山!
うねって何で必要なの?とかそんな初歩的な
質問から 農業用語の基礎の基礎とか
教えてもらえて面白かった。
私にとっては相も変わらず遠いイメージの「農」だけど
貸し農園ならいけるかも とか たしかに
自分で畑をおこすところからやってたら
そりゃあ絶対美味しいよなあ と
いつか野菜は育ててみたいな と
そんな気持ちになれたこと が なんだか
とってもありがたかった。


 この植え付けの基本指導をしてくれたのは20代
前半くらいの女の子で 今は有機栽培農家で
研修2年目なんだという。彼女の手つきはとても慣れてて
なんだかとてもかっこよかった。ちょっと2人で
話す機会があったとき、農業をやろうと思った理由を
尋ねてみたらこう言っていた。
「昔から農業に憧れてたんです。今は楽しくて
時間がたつのも忘れてしまって 気がついたら
夕暮れなんですよ」「へー!いつから憧れてたんですか?」
「子供のときからですね、、家は農家じゃないんですけど」
そっかー それじゃあ うれしいんだろうなあ
彼女はしょっちゅう「感謝している」と言っていた。


すごいなーと思う一方 そしていわゆる
農家さん的な雰囲気の中 なんだか一人浮いてる私は
(だって一人だけ「パリのカフェ」なんだもん
まあ 浜名湖ユースでもそうでしたが、、)
でも私のまわりにいる人の多くが「農だ!!」と
言ってるからって 彼女にとって農が本当に喜びなのは
それが彼女がそれに憧れていて 本当に好きなことを
やってるからで 私が無理矢理「農?かしら、、、」と
思って一緒になってやってみて も なんだか
だいぶ違うのだろう。みんなが「農だ!!」と言う度に
私は途方にくれるけど 私は最近思い始めた。
都会にだって役割がある。都会のしくみを
変える人だって必要なはずだ。それに私は
カフェというテーマでやってきてるし
それを使って何を変えてくことは可能だろう。


 伊藤さんはどういうかなあ?農をテーマにがんばっていて
でも私のカフェ論も共感してくれた彼女はなんて言うのだろうと
つい思ってしまうけれど 彼女は「もっと沢山の人に
カフェのことを伝えてほしい」とみんなの前で言ってくれ
別に私に対して「あなたも自給自足するべきよ!」とか
「田舎で農業してなさい」と言ってきたりはしないわけ で
私はやっぱり 私の視点で 世界を見たくて
私には私なり に やれること があるのなら
違う視点から なんとかかんとかやってみたい、と
はじめてお話した後の 帰りの電車で
私は都会でやってみよう と ちょっと思えたりしたわけで。



 カフェは何かをつなぐのだろうか

 カフェは何かを変えるのだろうか?


 今日参加者の話を聞いてて気がついたのは
「僕たちはおいしい野菜をつくります。それが
料理されて食卓にあがって、、、」そんな話を耳にしたとき
ああそうか 「農」といっても それらのものは
どこかで料理され 食卓にあがるものなわけで
それがいかに食べられるか というのも
けっこう面白いかも と私は思った。

 いかに というのは けんかして無言で
無農薬有機栽培マクロビの料理を食べるのと
美味しいワインと素敵な雰囲気とろうそくの灯の中で
楽しい会話に笑いながら ご飯を一緒に食べるのとでは
美味しさの質も全く違うということで
「これはいい!あれはダメ!」「肉もダメ!砂糖は
もっとダメ!!」と言いながらしかめっ面して
食べるのよりは 白米でお肉であっても 
楽しく笑って食べてた方が きっとつくられた
ものたちも まわりの人も 嬉しいだろう
そういう方法 ただ料理をするだけでなく
いかに食卓を楽しむかとか いかに
カフェを楽しめるかとか そういう方法
そういうのって あんまり日本で重視されてない
そんな気が私はするから 
そういうことをもっと探って伝えていくのもありかもな?


 フランスで何故カフェで出会いが生まれるかって?
いまだにそれがあるとするなら 日本には
ほとんどないもの それは彼らが気軽に
ギャルソン達と軽口をたたくことだろう。



そうしておもしろおかしく冗談をいい
気の利いた言葉をつかって 隣の人もクスッと笑う
そこで目配せがはじまっていく そういうとこから
会話が生まれる 私にはそんな気がするな。
(ちなみにパリで夜にでメトロを待っていた時
隣の人が「あと何分で到着です」という電子アナウンスに
「メルシィ」と言い返してて 私とそのまた隣に
いた人は顔を見合わせて笑ってしまい そこから
3人でのちょっとした会話がはじまったことがある。
こーいうのをエスプリっていうのかしら?)

 カフェはないより あった方が断然いいけど
「さあカフェですよ」と開いてみたら
何かが生まれるわけじゃない。
そこにもいろんなやり方があり
日本のカフェを放っておいても 
出会いはないし ちょっと誰かが紹介しても
名刺交換から始まっていく 通り一遍の
紹介の仕方で終わってしまうかもしれない
いろんな方法 いろんな方向があるわけで
カフェにはきっと方程式があるのだろう。
どんな方程式をつかったのなら カフェから何かが
生まれるのだろう?私はもっと それを探って
沢山の人に伝えていければ
私なり に 役にたつことができるのだろう
やっぱり私は私の道で もう少し研究を深めて
成果を社会に還元したい。伊藤さん 本当に
ありがとうございました!

フランスに行くなら

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