alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

飛び込む勇気

2010年09月08日 | フランスあれこれ


 6月にフランスに行く前に
私は滅多に描かない デッサンではない
絵を描いてみようという想いにかられ
筆をとっては うーんこんなの!と
おもむくままに描いてみて
出来上がった魚の絵 は
海をはねてる魚の絵。





 それで?何か書いてみようか
フランス語でコメントしよう
そして私はこう書いた。
'Te veux sauter?'
'Oui..'
(飛びたいわけ? うん、、、)


 その時は sauterというので合っているのか
この単語が何を意味しているのかなんて
あんまりわかってなかったし
なんで魚の絵なのかも
私自身にはわからかなった。

 
 それから2ヶ月がたち
2度目の渡仏をした時に
偶然にもsauterという単語を雑誌で
目にすることになる。
それは『人生は変えられるのか』という
特集で sauterというのは飛び乗る、
思い切ってやってみるという意味もあるんだそうな。



 今日は憧れの日文研図書室で朝から本を読み
日本におけるフランス研究について
うーんと考えていたのだけれど
日本でフランスのことをやってくと
どうしても難しくって権威があって
アカデミズムで 何もかも 知っていないと
いけなくて 「当然これはご存知ですよね?」
(「周知の事実だが、、、」という言葉ですね
誰も知らないよ!と突っ込みたくなる。)
という恐ろしい雰囲気があり
もう本当にスミマセンという気分にいつもなってしまう。


 だけどどうして そういう本を書いてる人の
大半が パリにたった一年だけしか住んでなかったり
ほとんどフランスに住んでなかったりするのかな?と
思ってみると 色々思うことがあり
結局私には不思議に思えて仕方ない。
日本でフランスのことを語って
偉そうに大学で教えることが そんなにも
面白いのだろうか?それよりも住んでしまった方が
もっと面白かったりしないのだろうか
どうして彼らはフランスのことを
ずっと研究してきているのに
その憧れの国で暮らしたいと思わないのか
私には不思議に思えて仕方ない。


 実際のところ 日本でフランスを研究している人たちは
フランスにいってみても 私が通っていた学校に居た
人たちのように 毎日まいにち図書館通いで
楽しもう!とするよりは 必死な思いで
かつて私が適応してみようかとしてみたように
苦しみもがいているのだろう。
たまに夜に外出するけど 留学生とつるんでいたり
頭の中は 過去の歴史でいっぱいで
見える世界も違うのだろう
そうして彼らも 8年前の私のように
重荷を背負って 背中をまげて
ちょっとアンニュイな顔をして
帰国して 何かを報告するのだろうか


 どうしてこんな世界なんだろう と思いながら
他の雑誌を手にとってみたら
あ いたいた!そう こうなりたいの!という人が。

 彼は黒田アキさんという人で
パリで活躍する日本人画家だそう で
今では藤田より有名なんだとか。
フーコーともお友達だったと書いてあり
しかもカフェによく行くんだそうな
それですよ それ!そして彼は笑ってる。


 パリで笑っていられるのなら
こんな幸せなことはない。
彼はきっと 藤田のようなパリをみていて
他の人たちを不思議に眺めているのだろう
藤田は言ってた。「どうして彼らは
日本に帰って名を成すことばかり考えているのだろう?」
藤田はそこで やってみようと決意をしてた。
だから彼らとは一緒になれなかったし
なりたいとすら思ってなかった。
私は藤田ほど強くはないけど
でも彼の気持ちはよくわかる。
それで?日本に帰って大学教授になって?
早稲田には6ヶ月しかフランスに住んでたことがなく
授業のたびに「パリ」と書かれたTシャツを
来てくる先生がいた。
私の高校時代のフランス語の先生も
いつもフランスのことを想って
先生達から「ムッシュー」と呼ばれていたな。


 そんな風に 頭の中では フランスのことで
いっぱいなのに どうして彼らは
旅立とうとしないのだろう
多分 それは 恐れや保身からなんだ。
海外で何かをするのは 生活をすることでさえ
大変なのに 特に日本で 将来が
保証されてる地位についてしまったのなら
もう動いているわけにはいかない。
たとえそれが楽しくなくても仕方ない。
「それが人生なのだから」
できる範囲でやればいいさ
「それが人生なのだから」

 かくいう私も 子供がうまれて
かなり保身に走っていたら 一年前に
友人たちに「イイダミキも保守的になったね」
といわれてかなりショックを受けてしまった。


 だけど私も本当は できることなら藤田のように
生きてみたい。もっと遠くへ行けるのならば
まだ見ぬ自分があるのなら 私もあそこで
頑張ってみたい。東京のおいしいフレンチ
レストラン で ワインが飲めたら幸せじゃない?
そういう人もいるだろうけど
どうしてなのだか フランス文化は日本に入ると
いつも変に変換されて 高級、洗練、小難しさ?
だけどパリでは もっとふざけた人もいる。
もっと適当な人たちもいる したいように
やりたいように生きていて 自然体だから
笑っていられる そんな人たちが存在している。

 不安や恐れやあきらめや 人の目を気にすることが
人生にとって どれほど有意義なのかはわからない。
だけど30歳目前にして 私が1つ悟ったことは
諦めから何かをはじめてはいけないということで
何をしたって まわりの人を巻き込むことになるのなら
その人がキラキラしている方がいい。
諦めや不安からはじめていたら まわりの人も
手伝ったって 結局ネガティブな雰囲気になる。
だからどうせするのなら 希望がある 方がいい
同じ世界を見るのなら 希望をもってみる方がいい
だっておんなじ人間が 同じ世界を歩いてたって
希望がある日と 絶望してる日じゃ
みえる世界がまったく違う。
だから頭の中は たとえアホでも 
ポジティブでいた方がいい。


 そういうことを 私は学んで
だいぶ笑顔になれたのだから
この何ヶ月かで 一皮 二皮向けたのだろう
私は少し 強くなり 本来の自分に
戻ってきてる 夢を描いたら
大切なのは 実現にむけて動いていくこと。
諦めないで 私はどこかに向かっていきたい。

フランスに行くなら

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