alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

生命力

2010年09月26日 | 子育て


 今日は以前から入院したりを繰り返している父の
病院にはじめて行って その巨大さに驚きながらも
病院の中に入ると あ なんか これ
久しぶりに見る 病院特有の雰囲気で
いろんなことを感じてしまった。


 父は基本的にはとても元気で
なるべく病院にはいたくないから
今日までもずっと家にいたりして
1日9キロ歩いたり 我が子と激しく
遊んだりして 家族の中でも一番元気そうなのだけど
そんな父が 今日は病院のベッドで眠るらしい。


 いわゆる大病院というものに足を踏み入れたのは
もう10年ぶりくらいだったから わーなんだかなーと
思ってしまって そりゃあうちに帰りたいよなと
そんな気持ちがよくわかる。名もないベッド
名もない病室 特別な誰かだったのに
そこにいると 誰々さん、と看護婦さんに呼ばれるだけで
長い人生でつちかってきた アイデンテティもはぎ取られるような
そんな病院特有の雰囲気で なんだかおそれを抱いてしまった。


 子供を産んでしばらくしてから
もう本当に辛かったから 「入院したい!!!」と
切に思うことが多かったけど 実際に入院している
ところをみると それって本当につらいんだなあと
よくわかり 病院になんてお世話にならない
そんな人生を歩めるありがたさ が 身にしみる。


 そんなちょっと暗い雰囲気の病院の中
ひとつだけ明るい光をはなっていたのは
お見舞いに来てる無邪気さまるだしの子供達。
今日は私も子連れで来たけど 彼は着く前に
昼寝をしはじめ 病院の中はみていなかった。
けれどもけっこう子連れは多くて
エレベーターに乗りながら ああ そうか
子供って 次世代の生命なんだ、、、と
深い感慨を覚えてしまった。


 子供を産むっていうことは

 一体どういうことなのか?と
長いこと考えていたけれど
人間には 男女の出会いの時でさえ
遺伝子やホルモンが働いて この人となら
子孫を残せそうかどうかというのを
チェックする機能があるらしい。
それくらい 子孫を残すということは
人間や動物に備わった本能的な行動で

 「社会的」な場所にいて 独身の人が
働いていて 楽しそうに笑ってて という
そんな場所にいてしまう と 子供は面倒
大変だ!とつい思ってしまうけど
少し暗い雰囲気の おじいさんおばあさんが
沢山リハビリしている病院の中を歩いてみると
子供だけ が希望のような気さえする。
なぜなら彼らは新しい生命だから
新しい希望の星だから。


 自分の子供を見ているときに
なーんでこんなに元気なんだろう!?と
不思議に思うことがよくあって
こんな30歳間近の人から生まれて来たのに
両親はへばっていても 子供は夜の10時まで
めちゃくちゃ元気に動き回って 笑いに笑い
よくこんな疲れた親からこんな子が、、、と
驚いてしまう。私から生まれたはずのその子は
とても元気で もうこれ以上力がついたら
怪獣ごっこも無理そうなくらい
エネルギーに溢れてる。
お肌もほんとうにつやつやしてて
その細胞 わけてもらえませんか?
っていうか私から出て来たはずでは?
なんでこんなに元気なのかなー?と
本当にうらやましくなってしまう
(それに語学習得能力といったら!!お願いわけて!)


 そんな彼らを産み落とすこと
産み落としてから何年か は 本当に大変なんだけど
いつか自分が老いた時 に 若い光が
元気を与え 笑顔を分けてくれるのならば
いつか自分が老いた時 に お見舞いに来てくれるなら
子供って やっぱりとても大切な存在なのかもしれないな。


 かつて戦後の住宅難の時代に日本は
こぞって山を植林にして 何十年後かの資源をつくろうと
したらしいけど 子供って きっと今 すぐではなくって
十何年かした後に 自分がもう 子供を産めなくなってしまった時に
その活動や若さや気力で 人にパワーを与えてくれて
そしてちょっと助けてくれて 一人だけ でいるよりも
元気にさせてくれるのだろう。
彼らは希望に溢れてる。何にだってなれるわけ で
それは本当にうらやましい。


 子供を産むって もっともっと
深いサイクルで見ないといけないことなのかもな、、、

 今日病院で私は思った。おばさんたちが
「自分のやりたいことなんてやれる時間がたっぷり
ある日がいつか来るわよ!でも子供は今よ」と
私によく諭してくるのは きっとそういうことなのだろう。
その時 自分が老いた時 側にだれかが居てくれるのか
その時 もっとエネルギーをもっていて はつらつとしてる
誰かがそこにいるだけで みんな若返るのだと そう言っている
子供がいると 笑顔があって 子供がいると 会話があって
いつの日か孫のいる人生がある それって何だか素敵そう。



 いつの日か 私ももう一人子供を産もうとするのだろうか
今まではそのリスクばかり考えてたけど 子供を産むということは
もっと とっても根源的で 本能的で 本質的な
なんだかそんな気がするな。。。
子供はどうして笑うんだろう 
どうしてあんなに人を笑顔にさせられるんだろ
どうしてあんなに若いんだろう
子は宝 というけれど 本当に社会の宝なのかもしれない

 「花のいろはうつりにけりな いたずらに 
我が身よにふる ながめせしまに」

 若いしこれから!と思ってる時 女性は子供も産み時で
判断するのは難かしいけど いつかリミットもあるわけで
仕事?自分?子育て?収入?考えることは山ほどあるけど
もしかして 子育てっていうものは そういうレベルの
判断じゃなく もっともっと 根源的なものかもしれない
そう思えたのは都会の真ん中。なんだか不思議な経験だ。

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861