絵葉書・観光パンフなどに見る-名所・風景・風物、あれこれ-
昔のお伊勢参り
江戸時代以前の昔のお伊勢参りは、「おかげ参り」も含めて、庶民には、一生に一度、行けるかどうかの命がけの旅であった。この伊勢の地は、古来、外宮・内宮の両大神宮が鎮座する、わが国最大級の由緒ある聖地であり、古くから参宮の為の表街道(参宮街道)や裏街道が通じ、道中の各所に旅人たちの為の宿駅や陣屋が出来、雲出川や櫛田川、宮川などの大きな河川には、船の渡し場や籠、馬の返し場(返馬・へんば)があった。そして、街道筋には名物食を売る店や、謂れのある名所なども次第に整って行った。かつて栄えた古市のような、立派な遊郭をも備え持った門前町は、地方都市ではそうザラにはない。大正時代までは、伊勢の「古市」と言えば、この地方きっての格式の高い花街であり、まだ幾つかの遊郭も残っていた。当地方きっての歓楽街であった事は、言うまでもない。外宮から内宮に向かう途中の尾部坂は、いつの頃からか、参宮客に「間の山・あいのやま」とも呼ばれるようになり、そこには見世物小屋などもあったようだ。江戸時代の川柳に、
「伊勢詣り 大神宮へも ちょっと寄り」
と言うのがある。
本来の目的は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)のおわします内宮への参拝、祈祷であっても、これをサッと済ませて、逸るにまかせて古市へ馳せ参じたようすが、面白おかしく伺えるが、この川柳の「大神宮」は、古市の「遊郭」を意味するのかも知れない。
昔の伊勢参宮のガイド・ブック
観光名所と言うのは、著名になればなるに従って、訪れる観光客が増えていくのは当然の事である。付随して宿泊施設や食堂、みやげ物屋も増え、ガイド・ブックなどの案内書が出来る。伊勢の事は、江戸の昔からいろんな書物に書かれているが、最も有名な案内書は、「伊勢参宮名所図絵」(寛政9年)と、「伊勢名勝志」(明治22年)、そして神宮司廳発行の「神都名勝誌」(明治28年)であろう。これらは何回も復刻版が出版されているので、市の図書館に行けば見る事が出来る。他に、「伊勢参宮細見大全」(明和三年)や、「伊勢参宮道中獨案内」(明治22年)のような、一般には知られざる名著(稀覯本)もある。
書物の他に、いろんな刷り物がある。「名所案内」、「参宮順路」、「獨案内」(ひとりあんない)、「道中志るべ」、「道中双六」はもとより、絵巻物や瓦版などにも及び、江戸時代の墨筆画や木版画をはじめ、印刷技術の飛躍した明治期以降になると、石版画や銅版画、写真版なども加わり、夥しい数となる。それに内宮・外宮の両神宮前や二見ヶ浦の各旅館、食堂兼みやげもの屋などが、それぞれ、鳥瞰図(観光絵地図)入りのP.R.用パンフレットやリーフレット(チラシ)を独自に作って、盛んに旅行客らにばら撒いていた。
特に伊勢の街は、戦前は「神都」と言って、明治の半ばには国鉄(参宮線)や市電が開通し、皇室ゆかりの神々しさの漂う地方の大都市であった。この様子は、古い絵葉書などを見れば、一目瞭然である。当地伊勢の往時の町並みや名所は、他に、吉田初三郎や新美南果らが描いた幾つかの鳥瞰図に見る事が出来る。中でも、「宇治山田市立体地図」(昭和15年 発行)は、実に細かく見事なタッチの描画で、大変見応えがある。
伊勢市の主な昔の鳥瞰図
我輩、伊勢すずめが、伊勢志摩地方を中心に、これまでに蒐集した三重県下の数々の鳥瞰図の中から、「伊勢」のものを幾つかを紹介しよう。
- 「参宮要覧 伊勢名所圖繪」(吉田初三郎 作画・大正8年 発行)
- 「伊勢参宮 名所圖繪」 (新美南果 作画 大正13年 発行)
- 「参宮要覧 伊勢名所案内」(新美南果 作画・大正14年 発行)
- 「伊勢参宮御名所圖繪」(吉田初三郎 作画・昭和5年 発行)
- 「御遷宮奉祝 神都博覧会鳥瞰圖」(田初三郎 作画・昭和5年 発行)
- 「合同電車沿線御案内」(吉田初三郎 作画・昭和6年 発行)
- 「朝熊岳」(吉田初三郎 作画・発行年の記載なし)
- 「朝熊岳名所圖繪」(吉田初三郎 作画・大正8年 発行)
- 「伊勢あさま名所図絵」(増永金生 作画・昭和3年 発行)
- 「伊勢 参宮の志を里」(作画・発行年の記載なし・旅館油屋 発行)
お伊勢さんのかつて名所
当地、伊勢市には、戦前は朝熊山登山の為のローカル鉄道が整備されていて、北斜面には、東洋一の急勾配を持つケーブル・カーがあった。この様子は、古い絵葉書にたくさんその光景が残っており、当時としても大変珍しく、神都線の市電と共に、伊勢の名所であり、名物であった。その市電も今あれば、貴重な観光資源となっており、市内の各地をゆったりと走る姿は、鉄道写真マニア(俗にいう、「撮り鉄」)の格好のターゲットとなったに違いない。同じように市内を走る路線バスでは、写真にもならない。
この市電の姿は、開設当時から数々の絵葉書に収録されているし、かつて市内の同好者たちが、最後の三重交通時代の姿だけでも残そうと、立派な写真集を編集し、自費で出版している。(「伊勢の市電(山田のチンチン電車)」・平成3年、勢田川出版発行を参照)
伊勢名所として紹介されている絵葉書では、市電の写真は、何故か「山田駅前」、「外宮前」(ここには、明治村に移設のユニークな洋館風の郵便局があった)のほか、「錦水橋」、「汐合の鉄橋」、「楠部駅」の風景ぐらいしか残っていない。ちなみに、この電車はパンダ・グラフがトロリー・ポールであり、内宮行きの複線では右側通行で走っていた。
そのほかの失われた伊勢の名所を、古い絵葉書などで探ると、
- 国鉄の山田駅
- 山田駅前通り
- 山田郵便局
- 宮崎文庫
- 旧・神宮農業館
- 河崎・河岸の達磨船
- 朝熊登山鉄道の朝熊駅
- 朝熊登山鉄道の平岩駅
- 朝熊山上のケーブル駅前
- 朝熊山上のとうふ屋旅館
- 金剛証寺門前の萬金丹本舗
- 内宮前停車場
- 蒸気機関車の走る宮川の鉄橋(鉄橋は今も昔通りだが、S.Lが無くなった)
- 古市の妓楼
- 商品陳列所
- 公会堂
- 五二会ホテル
などとなる。調べれば、他にも建造物や風景写真の絵葉書があると思うが、まあ、こんな処だろうと思われる。
写真上から、
- 戦後の神宮奉納博覧会・開催中の近鉄宇治山田駅(ボンネットバスに注目)
- 河崎・河岸の達磨船(だるまぶね)
- 昔の外宮前の風景…伊勢郵便局
- 伊勢すずめの家の真ん前を行く伊勢の市電
- 朝熊登山鉄道への乗り換え・「楠部駅」
- 御幸通りの錦水橋(左前方に我輩の家が見える)
- ケーブル・カーの乗り場のあった「平岩駅」
- 東洋一の急勾配を誇った「朝熊山のケーブル・カー」
- 朝熊山山上の駅舎と駅前