採石の進む菅島 ~採石場の岩石は、黒っぽい橄欖岩や蛇紋岩 ~
(2010年6月撮影)
鳥羽の起こり
鳥羽という地名は、その昔、帆船が海上航路を往来していた頃、恰好の風待ち港としての、船の「泊まり場」が短縮されて発生したと言う話は、既に「鳥羽のお話」に記しておきました。
鳥羽の特殊な地名
鳥羽市の地図を見ると、安楽島(あらしま・元は荒島か? )、安久志(あくし・古名に飽石浦[あくしうら]とある。)、加布良古(かぶらこ・株浦越え? )、船越浦(ふなこしうら・海岸の地峡部を人が船を担いで越した場所の意。答志島の北海岸)、桃取(ももとり・藻採りからの転化か? )など、興味を覚える珍しい地名が幾つかあるが、これらの他に気を引くのが、地学に関係すると思われる地名がかなりの頻度で存在することである。たとえば、岩や石、赤・白・黒・青などの文字の付く地名である。これらは、自然地形や地質、並びに地質現象に関係して発生したと考えられる。
石・岩にまつわる地名
まず、石や岩について掲げてみると、岩倉(いわくら)、石鏡(いじか)、石鏡島(いしかがみじま)、碁石ヶ浜(ごしがはま・答志及び菅島)、砥石山(といしやま・答志)、砥谷(とや・安楽島)、千賀石(せんがし・答志)、七石(しちし・河内川の上流)、八石(はちいし・河内川の上流)等となる。
石鏡と七石
石鏡(いじか)は、沖合の石鏡島にちなんで付いた地名のように思われるが、古来、「石鏡」(いしかがみ)とは、断層に伴う破砕帯の粘土化によって岩盤の断層面が磨かれ、天然の「石の鏡」となったものを言う。この種のものを地質学では「鏡肌」(かがみはだ。スリッケン・サイド)と称しており、近隣では、伊勢市五十鈴川上流の「鏡岩」(かがみいし)がある。又、七石は燧石(ひうちいし。ここの岩石はチャート)の産地であり、明治期には、「赤間石」に似た良質の赤色粘板岩が出る事から、硯石の石材としてこれを試掘した場所でもある。
色にまつわる地名
次に、色合いを表す文字の付く地名であるが、市街地のはずれに赤崎(あかさき)があるほか、赤岸(あかきし・堅神、及び菅島の字名)、白崎(しらさき・菅島)、白石崎(しらいしざき・坂手島)、白浜(菅島)、白根崎(しらねざき)、シラヤ崎(神島)、白島(しろじま・国崎の小島)、白木(しらき)、黒崎(答志)、黒崎鼻(菅島)、青峰山(あおのみねさん・松尾)などがあげられる。各地を巡り、字名などを詳しく聞き込めば、まだたくさんあるはずである。
「赤」と「白」の意味
「青」以外のこれらの地名は、古人が地表や海岸の天然状態をごく自然に目に映るまま、そのように呼び始めたものであろう。おそらく赤は、海岸の崖が崩れて赤土等がむき出しになっている場所であり、鳥羽の赤崎にはかつて銅山(赤崎鉱山)があった。古地図にも赤崎金山と記してあり、銅鉱床の露頭がいわゆる「ヤケ」(鉱床の酸化帯で、黄銅鉱などが酸化・加水分解し、水酸化鉄である褐鉄鉱を生じた箇所を言う)となって、今も赤茶けて崩れた鉱山跡の山肌を晒しているのが確認できる。
白色は、石灰岩や石英片岩、白色珪石(チャート)などの露頭が考えられ、白根崎やシラヤ崎には古生層中に石灰岩やチャート層が介在し、白い岩肌となって露出している。この事は、地質図と照合すればある程度納得できると思う。
「黒」の意味 ~歌に詠まれた碁石ヶ浜~
最後に黒色は、当地には黒っぽい橄欖岩や蛇紋岩など、塩基性深成火成岩類も分布するが、地名とのはっきりした一致を見ない点から、これらの地名は、むしろ三波川変成帯のメンバーである黒色片岩(石墨片岩など)の露頭か、あるいは、海岸の黒色系の漂礫の色合いに起因すると考えるのが自然である。特別に目立つ白や赤以外の岩石は、沖合から眺めれば殆どのものが地山や岬の常緑樹林に隠されて、黒っぽく見えてしまう為、その対比からであろうか ・・・。
なお、西行法師(歌人・118 ~ 1190)の著した「山家集」には、
伊勢の答志と申す島には小石の白のかぎりを侍るにて黒は一つもまじらず
むかいて菅島と申すは黒かぎり侍るなり
と記され、次の歌が詠まれている。
菅島や 答志の小石 わけかへて 白黒まぜよ うらの濱風
鷺島の 小石の白を 高波の 答志の濱に うちよせてける
合わせばや 鷺と烏と 碁を打たば 答志菅島 黒白の濱
赤崎鉱山の赤茶けた崖(昭和40年代半ば頃撮影)
~昔から銅鉱脈の露頭があり、山土(やまつち)は真っ赤に見えた~
河内町の鳥羽鉱山の写真(稼行中の昭和40年代半ばに撮影)
付近には「石」にまつわる場所が幾つかある。