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伊勢・志摩・度会の石紀行 その15( 最終回 ) 伊勢市朝熊山 「 金剛證寺境内の仏足石 」

2024年03月28日 | 伊勢・志摩・度会の石紀行


朝熊山 ・ 金剛證寺境内の 「仏足石」

 伊勢市朝熊山( あさまやま )山上の金剛證寺の境内に、「仏足石」( 佛足石 )と称する大石がある。 鎮座する場所は、山門( 仁王門 )を潜った先の「連間の池」奥のほとりで、本堂前の石段の下あたりである。池の対岸にある「雨宝堂」の左横に位置する。
 石冊の囲いと瓦屋根だけのこじんまりとした「仏足石堂」の中にあり、畳一畳ほどの大石の研磨された上面に、一対の仏陀の大足跡が見事な刻線で描かれている。 その表面には、賽銭の硬貨が何枚か投げ入れられている。


朝熊山 ・ 金剛證寺境内の 「連れ間の池」


 この大石は、ぐるりが「朝熊石」特有の鉄錆色の風化被殻に覆われ、明らかに朝熊山上産の塩基性深成火成岩の巨石であることは、明白である。 この岩石は、見かけ上は蛇紋岩化しているが、研磨面を観察する限り、ほぼ等粒状完晶質の組織を残す緻密な黒緑色であり、原岩は現地性の橄欖岩か橄欖斑糲岩か、角閃橄欖岩のようである。
 類似の岩石は、旧登山道にも転がっており、山上広苑の露頭などで、母岩の岩体や風化した母材礫を幾らでも目にする事ができる。


「連れ間の池」 奥のほとりの 「仏足石堂」


「仏足石堂」 の前に立っている 「説明札」


研磨された巨石の表面に刻まれた 「仏足跡」


 さて、この見事な研磨面上に彫刻された繊細な仏陀の大足跡のモデルが、いつの時代に製作されたものであろうか。 そもそも「仏足石」は、説法の座下に「仏足跡」を描いて、御仏( みほとけ )の存在を示すものとされ、発生はインドの仏教信仰の中で生まれ、その後中国に伝わり、日本には奈良時代の初めに、遣唐使に随従した仏僧が長安の普光寺において、「仏足跡」を転写して持ち帰ったことに始まるとされている。
 その当時は、仏教美術としての「仏足跡図」が崇拝されていたが、やがて「石に刻み込んだもの」が「仏足跡」として崇められ、「仏足跡」の石としては、奈良県の薬師寺の「仏足石」が最古とされている。
 全国的には、幾つかの寺院に「仏足跡」の転写図や、数例の「仏足跡石」( 仏足石 )があるが、奈良県の薬師寺の国宝の「仏足石」の他は、一般には比叡山西塔の仏足石が知られているに過ぎない。


「仏足石」 背後の 「歌碑」


 朝熊山 「金剛證寺の仏足石」 は、文献によれば、鎮座する大石全体の高さは約65cm、研磨された上面の横幅は約1m84cm、奥行きは約1m22cmである。 刻み込まれた足跡は、薬師寺様式の仏足跡で、研磨された石面に線彫りでその全形を表している。 仏足跡の縦幅は約51cm、横幅は約21cmである。1対の彫刻された足面には、左右対称の精密な線図柄の紋様がぎっしりと刻まれ、両足の周囲には四方から輝く光明を表すかの如く、数条の刻線筋が走り、その中には瑞花や瑞雲のちりばめも見られる。


上載写真の 「歌碑」 の背面
 

 この「仏足石」の背後には、「釈迦牟尼佛足石」の題字のある、万葉仮名で刻字された歌碑( 高さ約1m35cm、幅約66cm )が立っている。
 この歌碑の背面には、天保四季癸巳年の刻銘がある事から、金剛證寺境内のこの「仏足石」が造られたのは、お堂前の「立て札」にも記されているように、江戸時代末期の 1833年である事が判る。
 おそらく、国内では一番鮮明できれいな「仏足石」(佛足石) ではないかと思われる。

  注 ; 上載写真は、いずれも 2024年3月28日の午前中に撮影を致しました。



 

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