新年が明けて、平穏のままに松の内が過ぎ、一月も中旬に差しかかった。 ここ4~5日は、日本海を通過した低気圧の後で、日本列島は冬型の気圧配置となり、伊勢の町は好天が続いているが、寒気に包まれて例年に無い程の冷え込みである。
9日から10日にかけては、冷い雪風が舞っていたものの、幸い冬季の季節風による北風は意外と弱く、冷え冷えとはするものの、日本海側の大雪に比べれば、不思議な程穏やかな冬日和に恵まれている。
今年は戌年になるが、干支の動物は「犬」である。 犬についてまず最初に連想した言葉は、昔のいろは… に始まる「犬棒ガルタ」の冒頭にあった「犬も歩けば棒に当る」であった。
人によっては「介護犬」や「警察犬」、渋谷の「愛犬ハチ公」を連想する者も居れば、かつてのテレビの名画「愛犬ラッシー」や、古い漫画の「のらくろ」等々…と、いろいろであろう。
我輩は、犬~棒のフレーズの後、鮎川哲也の推理小説で、三重県が出てくる「戌神は何を見たか」(講談社文庫・他)と、何度か映画化された「犬神家の一族」(横溝正史 著、角川文庫・他)を思い描いた。
そう言えば、巷の草花に「犬のふぐり」と言うのがあり、近頃よく耳にするが、「ふぐり」と言う語を辞書で調べてみると、「陰囊(いんのう)の事」とあり、字例に「松ふぐり→まつかさ」「犬のふぐり→ゴマノハグサ科の二年草」とあった。
春先になると淡紅紫色の小花が咲くらしいので、多くの若い娘さんらはおそらくこの言葉の意味(イヌのキンタマ)を知らずに、単にきれいな春の草花の名前、ないしは初春の挨拶用の季語などとして、ごく気軽に使ってみえるのではないかと思うのだが…。
ついでに調べてみたが、他にも「犬何々」と言う名前の植物はかなりたくさんあった。 「犬黄楊」(いぬつげ)、「犬山椒」(いぬざんしょう)、「犬蓼」(いぬたで)、「犬サフラン」、「犬薄荷」(いぬはっか)等々。
ちなみに「犬ハッカ」は英語の「Cat mint」の和訳らしく、日本語に「猫ハッカ」と言う言葉は無いので、和訳によって「猫」が「犬」に化けてしまっているのは、摩訶不思議で実におもしろい。
最後には、「犬猿の仲」と言う言葉も思い浮かべたが、両者にまつわる語例を2~3辿ると、「犬は人に付く」とも言い、「犬死に」や「犬の遠吠え」があり、猿については「猿芝居」だとか「猿まね」、そして「猿も木から落ちる」とあった。
さて、昨年末は、昨秋の水害により故障を繰り返し、もうダメだろうと諦めていた愛車のラシーンが奇跡的に直り、何とか動くようになって、クリスマスの前に戻って来た。 この間、知人のモータース(修理店)には大変お世話になり、合掌を禁じえずに感謝の極みである。
不具合箇所の精密な検査や修理にひと月半は優にかかり、二ヶ月分の生活費が吹っ飛んだが、良く直ったなと、久しぶりに乗る愛車に感極まった次第だ。
年の瀬は、大晦日(12月31日)の小雨を除いて、クリスマスから正月の三箇日過ぎまでは、ずっと好天が続いていた。 伊勢の町も、高速道路からの進入規制で、外来車が殆ど無く、宇治山田駅と外宮前、猿田彦神社前から内宮前にかけての参詣客の混雑を除けば、外気は冷たいものの実に静かである。
年末の29日には、好天の朝から久しぶりに志摩の海岸に行ってみた。 伊勢道路から磯部町の町街地を迂回し、磯部トンネルを潜りぬけて鵜方に至るバイパス道路を通り、国道167号の土橋の交差点に向かった処、昨年はずっと建設中であった、鵜方の町街地を迂回して志摩方面に向かうバイパス道路が、交差点から先へとまっすぐに開通していた。
この道路はパール道路の下をくぐり、10分もかからずに国府・安乗方面と波切・先志摩方面への新道バイパス(国道167号)の交差点に達した。
左折をし、まず国府白浜を眺めに行った。 遠州灘の大海原を照らすまぶしい程の陽射しが、伊勢よりはずっと暖かくて、海風も冷たさを感じさせない潮風となってそよぎ、広々とした志摩の沿海はいち段と群青を増していた。 さすがに年末の冬の海には、サーファーは一人もいなかった。
北端の海食崖は、昨秋の台風の爪跡が土砂崩れとなって荒磯の岩盤を覆っていた。
しばし時を置いた後は、点在する沿岸の村落を結ぶ海岸道路(県道21号線)を南下し、漁船の係留する甲賀漁港と、その続きの城の崎に寄って海景を眺め、いつものように小狭い名田漁港に立ち寄った。
丁度昼時なのか、漁から戻って来たウエットスーツをまとった海女達を乗せた海女船(あまぶね)に出くわした。 冬場は鮑は禁漁と聞いているので、海女漁の獲物はサザエの他、ウニやナマコ、他にはテングサ等の海草採りなのであろうか…。
ひと通り名田漁港の渚を歩いてみたが、小石も程良い流木も、きれいな貝殻や珊瑚のカケラなども、目当ての目ぼしい漂着物は打ち上がっておらず、この日は写真を数枚撮っただけで戻った。