立秋が過ぎ、お盆が過ぎ、8月も下旬となった。残暑と言うには、あまりにも異常な猛暑の真夏日が、もう10日以上も続いている。 近所に在住の高校時代の同級生(男性)が、熱中症のせいか、自宅の室内で倒れ、戸閉りをしたままで数日間、隣家の人々にも気づかれずに、独りひっそりと亡くなっていたらしい。そこに住んでいた事すら知らず、交流は全く無かったのだが、お盆の前にその話を聞いてあ然とした。気の毒と言うより、実に哀れそのものであった。 とにかく、一日中暑い・・・。 この暑さのさ中、伊勢の市街では伊勢神宮の御遷宮に伴う、内宮・外宮への「お白石持」のイベントが、伊勢ならではの、「町単位」のハッピ衣装や工夫を凝らした陸曳き(おかびき)・川挽きなど、市民総出の奉仕事業として取り行われている。市街地は交通規制が成され、今や全国から大勢の参加者が奉献団に加わり、来訪の観光客らと共に大変なにぎわいをみせている。 この20年に一度の催しも、回を重ねるごとに派手で粋な装いになり、人的にも質的にも今年は最高潮に達した感がある。 我輩は、前々回(40年前)に参加したきりで、老若男女入り乱れてのこの過激なお祭には、体がついてゆかず、世代交代と決め込んでの傍観であるばかりだが・・・。
さて、今夏の暑さはいつまで続くのであろうか・・・。この処、各地で交通事故のみならず、水難事故やゲリラ豪雨による痛ましい水災害が後を絶たず、連日死傷者のニュースが報じられている。 我輩も、人ごとでは無いと思う次第だが、とにかく、動く度に「ああ、たのむよ」との、自身の為のオマジナイを唱えながら生活をしている。その意味は、
あわてるな ! あんぜん(安全)確認をせよ! たいちょう(体調)を考えて行動せよ! のんびりと暮らせ! むり(無理)をするな! よくばる(欲張る)な!
である。
今までは、仕事にしろ、スポーツにしろ、学術・学問・芸術にしろ、車の運転にしろ、プロ意識で取り組み頑張ってきたのだが、とにかくアマチュアに比べて、いかなる職業においても「プロ」はすごい人だと思っている。 そのプロなる人々の条件としては、アマチュアの成す事に比べて、
1.仕事のスピード 2.仕事の正確さ 3.結果の出来栄え 4.使う専用道具の高質さ 5.体の健康管理
等が、どだい違っている。 職人にしろ、商売人にしろ、スポーツ選手にしろ、芸術家にしろ、芸能者にしろ、学職者にしろ、政治家にしろ、プロは使う時間においても、材料においても、お金においても、話術においても、少しの無駄も無く高度な仕事をやってのける。そして、製作品や成績、研究、事案の処理など、アマチュアとは次元の違うレベルの結果を、万人が認める形にして生み残すのだ。 そんな事を考えながら頑張ってきたのだが、寄る歳には勝てない。昔ならとっくに年金生活の、いわゆる「ご老体」であるはずなのだが、食う為には、老後の悠々自適の生活など程遠い現状である。 これまでわが身を支えてきて、老朽化しつつある体内の五臓六腑のみならず、五感までも当分は酷使し、これから先々まで仕方なく無理をしそうである。
気が付けば、季節の移り変わりのように、わが身体も夏が過ぎ、秋風の如く侘しさをいだきながら、冬枯れへと、まっしぐらに向かう途上のようなもの・・・。 過ぎゆく伊勢の夏-。花火大会や盆踊りに、夏祭りもたけなわ・・・。秋の御遷宮も間もなくである。 同級生の急逝もあってか、「祭りの後」の寂しさにも似た人生の晩年を、独りひしひしと感じながら、とにかく「後の祭り」にならないように、余命ある限り日々の仕事を続けるのみである。 そして、一日いち日、その日暮しの「朝の目覚め」に感謝をし、「夕べの寛ぎ」に掌(て)を合わせ、お経でも唱えながら寝床につくのがいい・・・。周りには猫や野鳥がいて、「生きる事の自然さ」を教えてくれる。