伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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英虞湾のマンガン鉱床帯

2010年07月08日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

日本列島はプレートの境界で、鉱物資源や温泉の豊富な変動帯

 日本列島は、アジアの極東に位置する弧状列島であり、太平洋を取り巻く変動帯(環太平洋火山帯・地震帯)の中でも、地殻変動の最も激しい場所である。伊豆半島付近で4つのプレートが接しており、活火山や活断層が北海道から南の沖縄県まで、ぎっしりとある。又、温泉や地下資源にも恵まれており、かつては金属鉱山や非金属鉱山がたくさんあり、昭和年代には、三重県にも幾つかの金属鉱山が稼行していた。

 

但し、現在稼行している鉱山は、一部の金山と幾つかの石灰鉱山

 現在、日本の金属鉱山は、一部の金山を除けば、各地の主要銅山など殆どが休山状態で、各種の鉱石の大半は海外からの輸入で賄っている。これはコストの問題であり、国内の鉱山では枯渇以前に、採掘をすればするだけ赤字となり、採算がとれないことによる。この事は、燃料資源である石炭についても言える事であり、石灰岩や苦灰石(ドロマイト)の鉱山を除けば、国内で稼行しているのは、菱刈鉱山(鹿児島県の金山)他、数鉱山にすぎない。

 

伊勢志摩地方の鉱山(跡)~特に、英虞湾を横切るマンガン鉱脈~

 さて、伊勢志摩地方を見ると、銅山跡とマンガン鉱山の廃坑が幾つか点在している。いずれも中央構造線に沿う、西南日本外帯の三波川変成帯、秩父累帯、四万十累帯(北半の日高川帯)に及び、東西方向に断続的に鉱床帯を成す。このうち、タイトルに書いた英虞湾のマンガン鉱床帯は、日高川帯の的矢層群に胚胎するもので、各所に露頭を成し、膨縮、断続しながら英虞湾を東西に横切っている。

 

英虞湾とその周辺のマンガン鉱床

 その西端の露頭は、浜島町の小矢取島で、東の海底を通り、大崎半島の「合歓の郷」の南岸から郷内の丹生池付近を経て、さらに土井ヶ原島を通って、立神の西山半島南岸の金山(かなやま)に及んでいる。それから東は定かではないが、以上のラインにそって試・採掘の跡が幾つか残存している。

 

かつて、採掘していたのは、「浜島鉱山」と「立神鉱山」

 この内、一時期ではあるが、かつて鉱山として稼行していたのは、合歓の郷南岸の「浜島鉱山」と西山半島金山の「立神鉱山」である。現地には、今もそれぞれの坑道が残存していて、坑口付近にはマンガン鉱石もかなり散乱している。

 

主な鉱石は含マンガン赤鉄鉱と二酸化マンガン鉱

 英虞湾のマンガン鉱床は、膨縮する鉱層を成しており、珪化作用による母岩の赤盤化が著しく、赤白珪石(チャート及び鉄石英)が多く見られるが、鉱体全体はマンガン鉄鉱(鉄マン)を主とするタイプである。鉱石は、含マンガン赤鉄鉱、及び二酸化マンガン鉱で、肉眼での識別は不可能であるが、分析記録にはこの他、ブラウン鉱と緑マンガン鉱の記載がある。脈石(みゃくせき。鉱石以外の鉱物のこと)は石英と鉄石英で、微量の黄鉄鉱を伴い、網状脈の晶洞や晶腺には微細な水晶を見る。

 

立神鉱山の鉱石は、当時八幡製鉄所へ

 英虞湾一帯のマンガン鉱床は、明治時代の末期に開発され、大正時代にかけて相当採掘されたらしく、立神鉱山の場合、大正5年までに8,186トンの鉱石を八幡製鉄所に送ったとの記録がある。

 

金山にある立神鉱山には今も坑道が残存し、鉱石が散乱

 立神鉱山跡へは、立神から慕情ヶ丘に行く道を3km程進み、左に降りて行けば鉱石の散乱する海岸(付近一帯を金山と呼んでいる)に至り、空き地の奥に坑道跡が開口しているが、この分岐場所が判りにくくて、迷ってしまう。現地の人なら誰でも知っているので、興味のある人は道を尋ね、金山の鉱山跡を見学してくるとよい。

 

阿児町・立神 金山の海岸 阿児町・立神 金山の海岸にある坑道跡

コメント
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