10月15日、朝日新聞は、「前例なき災害伝える ~震災と原発事故 その時朝日新聞は~」と題する新聞週間特集を組んだ。8ページにわたるが、広告が入っているから正味5ページ程度だ。「震災と原発事故」とあるが、3分の2は原発事故に関するもの、という印象だ。
特集は、7つのテーマに細分される。(a)炉心溶融どう認定、(b)「作戦報道」を考える、(c)健康への影響は、(d)放射能と食品、(e)被災者の声を、(f)海外の視点、(g)被災地3総局長語る・・・・だ。
いわゆる「大本営発表」については、(b)で率直に反省する。この反省は、(a)にも(c)にも(d)にも通底していると思う。
しかし、上杉隆ら「記者クラブ」批判者は、反省は弁解と紙一重だ、と追い打ちをかけるかもしれない。
ここでは、朝日紙の「大本営発表」の一例を引くにとどめておく。なお、引用は「< >」で示す。
●「大本営発表」 【(b)「『作戦報道』に追われてしまったのでは」】
<爆発や火災で建屋の骨組みを無残にさらし、白煙を上げている原発という「暴れ馬」に、手綱をつけられるのか――。原発をいかに冷やすかが、最大の課題だった。しかし、放水作業など動きのある「作戦」の報道に追われてしまい、検証や独自の視点に基づく取材が不十分だったのではないか。
「日々の出来事を追うのに精いっぱいで、記者会見を離れ、独自の視点で切り込む余裕がない」。科学医療部の取材班キャップの佐々木英輔は感じていた。「本質を伝え切れていないのではないか、と思った」
次々に発生する深刻な事態、それに対応した作戦を、期待交じりに針小棒大に伝えた面がなかったか。戦時中に敗退を隠した「大本営発表」の報道のように。>
事実そのものを確認できない場合、推測するしかない。推測は記事にできない。だから、提示された事実だけに拠るしかない。ために、東電や政府の発表を垂れ流す結果になった。
しかし、それでも記事の書きようはあったのだ。
(1)科学的蓋然性の高さで 【(a)「炉心溶融 不十分な情報で、どこまで書けるのか」】
<科学医療部デスクの服部尚は、10年以上の原子力取材経験から「臆測は必ず覆った経験を思い出した。少しでも、何かのデータが必要だと考えた」と振り返る。核燃料の性質や事故のシナリオについての知識をもとに、溶融が起こっていると推測できても断定はできない。
現場からの断片的な情報をまとめて原稿にするアンカー役の記者の行方史郎も「推測や、論理に飛躍のあるストーリーは採用しない」と自分に言い聞かせた。
一方、記事の扱いと見出しを決める編集センター長代理の梶谷卓司は、原稿に正直、まどろっこしさを感じていた。「自信がないときに『可能性』と弱めて書くのは分かるが、科学的に蓋然性が高いのはこうだ、と書いてほしい。原子炉を開けるまで、確定的なことが言えないのは当たり前だ」>
(2)逆転の発想 【同上】
<国は事故を過小評価しようとしていた。18日に発表した国際尺度の暫定評価は「レベル5」。放射能の放出が限定的だった米スリーマイル島原発事故と同じ規模、との見立てだった。しかし、13日朝刊の解説で「スリーマイル以上」と指摘後、事故の規模は拡大していた。
国の評価に疑問はあっても、覆すデータは東電と保安院が独占している。25日の朝刊1面の「レベル6相当」の記事は、逆転の発想から生まれた。
23日に原子力安全委員会が初めて公表した被曝予測。各地でモニタリングした放射線量データから、予測システムSPEEDIで計算するために、原発からの1時間あたりの放射能放出率を推定した、としていた。そこで用いられた値は、その時点で最も確からしい数字。複数示された放出率のうち最低値を使って、事故直後からの放出量を計算すれば、「少なくとも、この程度以上の事故だ」と独自に報道できる。その結果の「レベル6相当」の報道だった。国は4月12日に最悪のレベル7と発表した。>
(3)独自の試算 【同上】
<一方、西部報道センター(福岡市)から東京に応援に来ていた安田朋起は、スリーマイル島事故との比較を踏まえ、複数の専門家の見立てを総合して、3月29日に「燃料溶融、地震翌日から?」という記事を書いた。5月に東電が発表する事故解析を先取りする内容だった。
汚染水漏出が続く4月9日、なお9割以上の放射能が炉内に残っている、との独自の試算を記事にした。米原子力規制委員会の標準的な計算方法を使ったもので、後日、東電が発表した結果と大枠で一致していた。「発表はなくても、調査報道をもっと充実させるべきだった」>
(4)積算線量を集計 【(c)「『ただちに健康に影響ない』」どう判断」】
<こうした記事【注】に、「短期の健康影響と長期慢性的な健康影響の区別をしないまま『心配ない』と書いている。問題意識に欠けている」と指摘する声も社内から上がった。毎時330マイクロシーベルトなら、その場に数時間いるだけで、一般市民の年間線量限度とされる1ミリシーベルトを超えてしまう。
(中略)
連日、放射線量の数値を見ていた科学医療部の岡崎明子が「きちんとしたことを言うには、積算線量を集計するしかない」と声をかけた。デスクの桑山朗人も「『数字が公表されないから書けない』では、福島の人たちに事実を伝えられない」と考えていた。放射線量取材を担当した杉本崇が、18日から発表値を表計算ソフトに入力していた作業が役立った。
24日朝刊で、浪江町の屋内退避地域に入っていない場所でも「8日間の積算値は約19ミリシーベルトに上る。国の防災指針では『屋内退避』レベル(10~50ミリシーベルト)で、あと2週間で『避難』のレベルに達してしまう値」と報じ、長期移住を視野に入れた対策が必要なことを指摘した。
文部科学省が積算線量を公表し始めたのは、25日からだった。
26日朝刊で、医療を担当する編集委員の浅井文和が解説記事で住民の長期的ながんのリスクを指摘、「どの程度の健康上の影響が懸念されるから避難が必要か、政府はデータを示して住民に説明すべきだ」と書いた。
4月8日朝刊では、30キロ圏外の飯舘村の土壌汚染はチェルノブイリ原発事故の強制移住レベルで、1年後の積算放射線量は70~220ミリシーベルトに上る可能性があると試算した京都大原子炉実験所などの研究を独自に報じた。汚染はまだら模様に広がっていた。
政府は4月11日、計画的避難区域を設けて、避難地域を20キロ圏外へも拡大した。>
【注】3月16日夕刊「放射線、周辺で高数値」「福島市など 健康影響ないレベル」との見出しの記事など。
以上、記事「前例なき災害伝える 震災と原発事故 その時朝日新聞は~」(2011年10月15日付け朝日新聞)に拠る。
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特集は、7つのテーマに細分される。(a)炉心溶融どう認定、(b)「作戦報道」を考える、(c)健康への影響は、(d)放射能と食品、(e)被災者の声を、(f)海外の視点、(g)被災地3総局長語る・・・・だ。
いわゆる「大本営発表」については、(b)で率直に反省する。この反省は、(a)にも(c)にも(d)にも通底していると思う。
しかし、上杉隆ら「記者クラブ」批判者は、反省は弁解と紙一重だ、と追い打ちをかけるかもしれない。
ここでは、朝日紙の「大本営発表」の一例を引くにとどめておく。なお、引用は「< >」で示す。
●「大本営発表」 【(b)「『作戦報道』に追われてしまったのでは」】
<爆発や火災で建屋の骨組みを無残にさらし、白煙を上げている原発という「暴れ馬」に、手綱をつけられるのか――。原発をいかに冷やすかが、最大の課題だった。しかし、放水作業など動きのある「作戦」の報道に追われてしまい、検証や独自の視点に基づく取材が不十分だったのではないか。
「日々の出来事を追うのに精いっぱいで、記者会見を離れ、独自の視点で切り込む余裕がない」。科学医療部の取材班キャップの佐々木英輔は感じていた。「本質を伝え切れていないのではないか、と思った」
次々に発生する深刻な事態、それに対応した作戦を、期待交じりに針小棒大に伝えた面がなかったか。戦時中に敗退を隠した「大本営発表」の報道のように。>
事実そのものを確認できない場合、推測するしかない。推測は記事にできない。だから、提示された事実だけに拠るしかない。ために、東電や政府の発表を垂れ流す結果になった。
しかし、それでも記事の書きようはあったのだ。
(1)科学的蓋然性の高さで 【(a)「炉心溶融 不十分な情報で、どこまで書けるのか」】
<科学医療部デスクの服部尚は、10年以上の原子力取材経験から「臆測は必ず覆った経験を思い出した。少しでも、何かのデータが必要だと考えた」と振り返る。核燃料の性質や事故のシナリオについての知識をもとに、溶融が起こっていると推測できても断定はできない。
現場からの断片的な情報をまとめて原稿にするアンカー役の記者の行方史郎も「推測や、論理に飛躍のあるストーリーは採用しない」と自分に言い聞かせた。
一方、記事の扱いと見出しを決める編集センター長代理の梶谷卓司は、原稿に正直、まどろっこしさを感じていた。「自信がないときに『可能性』と弱めて書くのは分かるが、科学的に蓋然性が高いのはこうだ、と書いてほしい。原子炉を開けるまで、確定的なことが言えないのは当たり前だ」>
(2)逆転の発想 【同上】
<国は事故を過小評価しようとしていた。18日に発表した国際尺度の暫定評価は「レベル5」。放射能の放出が限定的だった米スリーマイル島原発事故と同じ規模、との見立てだった。しかし、13日朝刊の解説で「スリーマイル以上」と指摘後、事故の規模は拡大していた。
国の評価に疑問はあっても、覆すデータは東電と保安院が独占している。25日の朝刊1面の「レベル6相当」の記事は、逆転の発想から生まれた。
23日に原子力安全委員会が初めて公表した被曝予測。各地でモニタリングした放射線量データから、予測システムSPEEDIで計算するために、原発からの1時間あたりの放射能放出率を推定した、としていた。そこで用いられた値は、その時点で最も確からしい数字。複数示された放出率のうち最低値を使って、事故直後からの放出量を計算すれば、「少なくとも、この程度以上の事故だ」と独自に報道できる。その結果の「レベル6相当」の報道だった。国は4月12日に最悪のレベル7と発表した。>
(3)独自の試算 【同上】
<一方、西部報道センター(福岡市)から東京に応援に来ていた安田朋起は、スリーマイル島事故との比較を踏まえ、複数の専門家の見立てを総合して、3月29日に「燃料溶融、地震翌日から?」という記事を書いた。5月に東電が発表する事故解析を先取りする内容だった。
汚染水漏出が続く4月9日、なお9割以上の放射能が炉内に残っている、との独自の試算を記事にした。米原子力規制委員会の標準的な計算方法を使ったもので、後日、東電が発表した結果と大枠で一致していた。「発表はなくても、調査報道をもっと充実させるべきだった」>
(4)積算線量を集計 【(c)「『ただちに健康に影響ない』」どう判断」】
<こうした記事【注】に、「短期の健康影響と長期慢性的な健康影響の区別をしないまま『心配ない』と書いている。問題意識に欠けている」と指摘する声も社内から上がった。毎時330マイクロシーベルトなら、その場に数時間いるだけで、一般市民の年間線量限度とされる1ミリシーベルトを超えてしまう。
(中略)
連日、放射線量の数値を見ていた科学医療部の岡崎明子が「きちんとしたことを言うには、積算線量を集計するしかない」と声をかけた。デスクの桑山朗人も「『数字が公表されないから書けない』では、福島の人たちに事実を伝えられない」と考えていた。放射線量取材を担当した杉本崇が、18日から発表値を表計算ソフトに入力していた作業が役立った。
24日朝刊で、浪江町の屋内退避地域に入っていない場所でも「8日間の積算値は約19ミリシーベルトに上る。国の防災指針では『屋内退避』レベル(10~50ミリシーベルト)で、あと2週間で『避難』のレベルに達してしまう値」と報じ、長期移住を視野に入れた対策が必要なことを指摘した。
文部科学省が積算線量を公表し始めたのは、25日からだった。
26日朝刊で、医療を担当する編集委員の浅井文和が解説記事で住民の長期的ながんのリスクを指摘、「どの程度の健康上の影響が懸念されるから避難が必要か、政府はデータを示して住民に説明すべきだ」と書いた。
4月8日朝刊では、30キロ圏外の飯舘村の土壌汚染はチェルノブイリ原発事故の強制移住レベルで、1年後の積算放射線量は70~220ミリシーベルトに上る可能性があると試算した京都大原子炉実験所などの研究を独自に報じた。汚染はまだら模様に広がっていた。
政府は4月11日、計画的避難区域を設けて、避難地域を20キロ圏外へも拡大した。>
【注】3月16日夕刊「放射線、周辺で高数値」「福島市など 健康影響ないレベル」との見出しの記事など。
以上、記事「前例なき災害伝える 震災と原発事故 その時朝日新聞は~」(2011年10月15日付け朝日新聞)に拠る。
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