核燃料サイクル・バックエンドの諸事業整備は、いかなる核燃料サイクル路線を選ぶにせよ、避けて通れない課題だ。
再処理路線を放棄すれば、電力業界は再処理工場の莫大な建設費・運転費を支払わずに済み、バックエンド・コストを大きく減額できる。さらに、再処理事業が円滑に進まなかった場合に発生する巨額の追加コストのリスクを免れることができる。そのためには、核燃料再処理を中止し、直接処分を前提とした核廃棄物最終処分への取り組みを進めればよい。
六ヶ所村再処理工場が着工された1990年代前半は、電力会社は地域独占、総括原価方式によって利益を約束されていた。まだ余裕があった。
しかし、日本経済の構造改革の気運を背景に電力自由化が進み始めた1990年代半ば以降、六ヶ所再処理工場問題が電力事業にとって重大な関心事になった。
計画を中止または凍結するならば、稼働前に(高濃度の放射能で汚染される前に)決断しなければならない。これが2000年代初頭の状況だった。
六ヶ所村再処理工場を稼働させるには、コスト見積もり→支援策決定→政府による電力業界へのリスクの肩代わり・・・・が必要だった。
経産省総合資源エネルギー調査会電気事業分科会にコスト等検討小委員会が設置され、2004年に「バックエンド事業全般にわたるコスト構造、原子力発電全体の収益性等の分析・評価」が報告された。
割引率3%の場合、全操業期間(40年)で均等化した原価(設備利用率80%とする)は、原子力5.1円(再処理路線でのバックエンドを含む)、石炭5.7円、天然ガス6.2円となった。コストの絶対値が示された点が新しい。六ヶ所村再処理工場操業開始予定の20年7月から40年間の総事業費は、18兆8,900億円。うち再処理費は、11兆7,200億円。
こうして着々と電力業界への支援策作りの準備が進められた。
しかし、多様な人々【注】が反対論や慎重論を唱えていた。
その基本的理由は、高速増殖炉とセットでなければ再処理のメリットはほとんどないが、世界中で高速増殖炉の実用化のめどが立っていないことだ。軽水炉に再処理したプルトニウムを使ってもほとんどメリットはない。そんな事業に巨額の資金を投入するのは経済的に無駄だ。そのコストは電気料金に転嫁されるか、税金に転嫁されて、国民に経済的損失をもたらす。しかも、再処理工場が快調に稼働しなければ、コストは大幅に跳ね上がる。国民は多大な損失を被る。
こういう認識が、反対論者や慎重論者において一致していた。
2004年6月、原子力委員会は、新計画策定会議を設置し、長期計画改定作業を開始した。再処理路線の継続が決定された。
2004年12月、六ヶ所村再処理工場は「ウラン試験」に踏み切った。さらに2006年3月、プルトニウムを用いた「アクティブ試験」を開始した。しかし、深刻なトラブルが発生し、2001年夏現在、解決の糸口は見えていない。
(a)エネルギー派と(d)エコノミー派の対立関係は、核燃料バックエンド問題をめぐる論争によって、世に知られるようになった。
原子力開発利用への賛否をめぐる対立は、政治的な右翼と左翼の対立ではなく、エコノミーとエコロジーの対立でもないことが、これによって明らかになったのだ。
【注】①反原発論者・脱原発論者、②電力産業にとっての経営リスクを懸念する電力関係者、③原子力事業のなかの不合理な部分を見直そうとするインサイダーの合理化論者、④古い利権構造の解体を唱える政治家・官僚、⑤電力自由化を唱える新自由主義的な経済学者、⑥公共事業による無駄な税金支出を批判する行政改革論者。・・・・原子力発電は賛成ないし容認するが、再処理路線には反対ないし慎重の姿勢をとる人々が多いことが2004年頃の時期の特徴だった。ちなみに、2003年には電気事業法が改正され、電力自由化はストップしている。
以上、吉岡斉「脱原発とは何だろうか」(「現代思想」2011年10月号 ~特集「反原発」の思想~)の「三 核燃料サイクルバックエンド問題」に拠る。
【参考】「【震災】原発>吉岡斉の、「脱原発」とは何か」
「【震災】原発>「脱原発」論におけるエコノミー派の台頭 ~脱原発とは何か(2)~」
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再処理路線を放棄すれば、電力業界は再処理工場の莫大な建設費・運転費を支払わずに済み、バックエンド・コストを大きく減額できる。さらに、再処理事業が円滑に進まなかった場合に発生する巨額の追加コストのリスクを免れることができる。そのためには、核燃料再処理を中止し、直接処分を前提とした核廃棄物最終処分への取り組みを進めればよい。
六ヶ所村再処理工場が着工された1990年代前半は、電力会社は地域独占、総括原価方式によって利益を約束されていた。まだ余裕があった。
しかし、日本経済の構造改革の気運を背景に電力自由化が進み始めた1990年代半ば以降、六ヶ所再処理工場問題が電力事業にとって重大な関心事になった。
計画を中止または凍結するならば、稼働前に(高濃度の放射能で汚染される前に)決断しなければならない。これが2000年代初頭の状況だった。
六ヶ所村再処理工場を稼働させるには、コスト見積もり→支援策決定→政府による電力業界へのリスクの肩代わり・・・・が必要だった。
経産省総合資源エネルギー調査会電気事業分科会にコスト等検討小委員会が設置され、2004年に「バックエンド事業全般にわたるコスト構造、原子力発電全体の収益性等の分析・評価」が報告された。
割引率3%の場合、全操業期間(40年)で均等化した原価(設備利用率80%とする)は、原子力5.1円(再処理路線でのバックエンドを含む)、石炭5.7円、天然ガス6.2円となった。コストの絶対値が示された点が新しい。六ヶ所村再処理工場操業開始予定の20年7月から40年間の総事業費は、18兆8,900億円。うち再処理費は、11兆7,200億円。
こうして着々と電力業界への支援策作りの準備が進められた。
しかし、多様な人々【注】が反対論や慎重論を唱えていた。
その基本的理由は、高速増殖炉とセットでなければ再処理のメリットはほとんどないが、世界中で高速増殖炉の実用化のめどが立っていないことだ。軽水炉に再処理したプルトニウムを使ってもほとんどメリットはない。そんな事業に巨額の資金を投入するのは経済的に無駄だ。そのコストは電気料金に転嫁されるか、税金に転嫁されて、国民に経済的損失をもたらす。しかも、再処理工場が快調に稼働しなければ、コストは大幅に跳ね上がる。国民は多大な損失を被る。
こういう認識が、反対論者や慎重論者において一致していた。
2004年6月、原子力委員会は、新計画策定会議を設置し、長期計画改定作業を開始した。再処理路線の継続が決定された。
2004年12月、六ヶ所村再処理工場は「ウラン試験」に踏み切った。さらに2006年3月、プルトニウムを用いた「アクティブ試験」を開始した。しかし、深刻なトラブルが発生し、2001年夏現在、解決の糸口は見えていない。
(a)エネルギー派と(d)エコノミー派の対立関係は、核燃料バックエンド問題をめぐる論争によって、世に知られるようになった。
原子力開発利用への賛否をめぐる対立は、政治的な右翼と左翼の対立ではなく、エコノミーとエコロジーの対立でもないことが、これによって明らかになったのだ。
【注】①反原発論者・脱原発論者、②電力産業にとっての経営リスクを懸念する電力関係者、③原子力事業のなかの不合理な部分を見直そうとするインサイダーの合理化論者、④古い利権構造の解体を唱える政治家・官僚、⑤電力自由化を唱える新自由主義的な経済学者、⑥公共事業による無駄な税金支出を批判する行政改革論者。・・・・原子力発電は賛成ないし容認するが、再処理路線には反対ないし慎重の姿勢をとる人々が多いことが2004年頃の時期の特徴だった。ちなみに、2003年には電気事業法が改正され、電力自由化はストップしている。
以上、吉岡斉「脱原発とは何だろうか」(「現代思想」2011年10月号 ~特集「反原発」の思想~)の「三 核燃料サイクルバックエンド問題」に拠る。
【参考】「【震災】原発>吉岡斉の、「脱原発」とは何か」
「【震災】原発>「脱原発」論におけるエコノミー派の台頭 ~脱原発とは何か(2)~」
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