お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

池坊花展

2012年04月11日 | 行事・案内
 池坊佐賀県連合支部主催の池坊展が下記の通り開催されます。

会期:4月23日(月)~28日(土)午前8時30分~午後5時                  *最終日は午後4時まで
会場:佐賀県庁 県民ホール

どなたでも、ご自由にご覧いただけます。

 私も会期後半の27,28日に作品を展示させていただきます。
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娑婆世界

2012年04月10日 | 仏教
 仏教用語で、娑婆(しゃば)とは

私たちが生きている世界のことです。

 この世は、自分の思い通りにはならない、堪忍土、堪え忍ぶ世界です。

 堪え忍ぶという意味のサンスクリット語が、「サーハー」
サーハーに漢字を当てたのが「娑婆」です。

 もっとも、思い通りにならないのは、
自分の思い通りにならないこと を 自分の思い通りにしたい と、思うから
よけいに、思い通りにならない感が強まり、
より一層、苦しむのでありましょう・・・
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降誕会

2012年04月09日 | 行事・案内
 昨日は、お釈迦様の誕生日、花祭りでした。

 法専寺では、4月8日のお釈迦様と5月21日の親鸞聖人のお誕生日の間ですが、

 毎年4月29日(祭日:天皇誕生日→みどりの日→昭和の日と名前が変わりましたが)に、降誕会(ごうたんえ)の法要をつとめています。

 降誕会の法要後は、門徒総会を開催し、終了後は、本堂で会食。歌や踊りを出していただいています。

 ただ今、行事報告、会計報告など準備中。
 会計担当の総代さんには、何回もご足労いただいています。

 ご門徒の皆さま、出席の申込みは、弁当の数の把握のため、早めにご連絡ください

 15日は、総会に向けて、総代役員会です。役員さん、よろしくお願いします。
 
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地球絶滅危機の映画に出てこなかったもの

2012年04月07日 | 雑感
 福井晴敏氏「小説・震災後」小学館文庫 を拝読しました。

 その中で、

 「日本沈没」や「2012」などの人類存続が危ぶまれるパニック映画にて

 「ああいう全滅系の映画ってさ、原発のことを忘れていたよな、大陸が沈むくらいの天変地異が起こりゃ、世界中の原子炉が吹っ飛んでエラいことになるはずなのに」
 「ま、映画になんないけどな。苦労して生き残った人も放射能で全滅しました、なんて話は」

と、いうセリフが出てきて、ドキッ

 ホント、私も昨年の原発事故があるまで、パニック映画を観ても、原発のことなど、全く考えもしませんでした。

 作者も失念していたのでしょうか? それとも、あまりに暗い未来は書けなかったのでしょうか・・・?
 
 
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2012年04月05日 | Weblog
 佐賀の真宗寺院は、3月、4月は巡番報恩講が勤修されているので、
どこの寺院関係者もそうですが、我が家でも、同様に、まだ子ども達が小さい頃、春休み時期といっても、他寺の法要に同行させること以外、ゆっくり遊びに連れ出すことなどできませんでした。

 今以て、「花見」(桜の下で会食)などしたことがありません。
 私の「花見」は、車で移動中の車窓からの「花見」です。


 昨日は、一昨日の大荒れの天気とうって変わって、穏やかな晴天。
会葬に向う車での50分ほどの間、あちこち満開の桜を車窓から眺め、今年も美しい桜にあえたことをうれしく、有難く思いました。

 写真は、立ち寄った親戚の寺の境内、4分咲きのしだれ桜(紅色が濃い)と、別種の桜(名前がわかりません)です。
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ご往生

2012年04月03日 | 仏教
 長年、お世話になってきた方、お二人の訃報が相次いで入り

 同じ日程で、お通夜、ご葬儀がいとなまれることとなり、
困っています。
 住職と私、分かれてお参りさせていただくことにしました。

 真宗の救いは、死んでからではない。
 死後、冥土をトボトボ歩く死出の旅をすることもない。
 四十九日を待たないと、浄土にたどりつかないわけでもない。

 往生即成仏

 煩悩の滅した さとりの世界に 新たに誕生する
そして、やすらかに眠っているわけでなく、仏の「はたらき」(まだ煩悩に苦しむ衆生を救う)となる。

 この世でのお別れは、悲しいけれど、
 いずれ私も必ず往く道。

 「正信偈」読む身、いずれは読まれる身

 私自身はどんな死に方をするかわからないけれど、その日まで阿弥陀仏とともに、安心して生きていく。

 必ず、また、浄土で、なつかしい方々とあえる世界が用意されている

 南無阿弥陀仏

 


 
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仏法聞き難し、今、すでに聞く

2012年04月02日 | 雑感
 昨日、きょうは組内H寺さんの巡番報恩講に参詣。お聴聞させていただきました。

 本願他力の救いは、
 こちらから求め、近づく教えではなく
 私のほうには、何らなすことなく(なすこと適わず)
 (「まあまあ、賢い」と自惚れて生きている)私自身よりも
 もっと、私自身(罪悪深重)を見抜いて、先手で
 今、私のところに届いてくださっている
 どうしようもないものをかかえた私を
 救わずに(導かずに)おれないと
 はたらいておられる
 それに、気づかされることが救い。
 遠い将来の救いでなく
 今、聞いて、今、救われる教えだ 

と、聞かせていただきました。
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