長年、お世話になってきた方、お二人の訃報が相次いで入り
同じ日程で、お通夜、ご葬儀がいとなまれることとなり、
困っています。
住職と私、分かれてお参りさせていただくことにしました。
真宗の救いは、死んでからではない。
死後、冥土をトボトボ歩く死出の旅をすることもない。
四十九日を待たないと、浄土にたどりつかないわけでもない。
往生即成仏
煩悩の滅した さとりの世界に 新たに誕生する
そして、やすらかに眠っているわけでなく、仏の「はたらき」(まだ煩悩に苦しむ衆生を救う)となる。
この世でのお別れは、悲しいけれど、
いずれ私も必ず往く道。
「正信偈」読む身、いずれは読まれる身
私自身はどんな死に方をするかわからないけれど、その日まで阿弥陀仏とともに、安心して生きていく。
必ず、また、浄土で、なつかしい方々とあえる世界が用意されている
南無阿弥陀仏
同じ日程で、お通夜、ご葬儀がいとなまれることとなり、
困っています。
住職と私、分かれてお参りさせていただくことにしました。
真宗の救いは、死んでからではない。
死後、冥土をトボトボ歩く死出の旅をすることもない。
四十九日を待たないと、浄土にたどりつかないわけでもない。
往生即成仏
煩悩の滅した さとりの世界に 新たに誕生する
そして、やすらかに眠っているわけでなく、仏の「はたらき」(まだ煩悩に苦しむ衆生を救う)となる。
この世でのお別れは、悲しいけれど、
いずれ私も必ず往く道。
「正信偈」読む身、いずれは読まれる身
私自身はどんな死に方をするかわからないけれど、その日まで阿弥陀仏とともに、安心して生きていく。
必ず、また、浄土で、なつかしい方々とあえる世界が用意されている
南無阿弥陀仏
往生即成仏。
懐かしい方々と、倶に会う処へ往く・・・。
御記事に、深く頷きます。
合掌
ありがとうございます。
真宗者のご葬儀は、涙の中にも明るさがあります。
『私が死んでも悲しまなくていいよ~もう私はお浄土という素晴らしい処に行ってるのだから。』
と笑って何度も言っておりました。
火葬場で煙を見上げながら、その言葉のおかげで私は救われてました
本当に、お母様は、思いもしない突然の事故でのご往生でしたね。
死んでからの話ではない、生前お聴聞による、かねてよりの「ご往生」でいらした(救われておられた)と、ありがたく拝読いたしました。