
佐賀の真宗寺院は、3月、4月は巡番報恩講が勤修されているので、
どこの寺院関係者もそうですが、我が家でも、同様に、まだ子ども達が小さい頃、春休み時期といっても、他寺の法要に同行させること以外、ゆっくり遊びに連れ出すことなどできませんでした。
今以て、「花見」
(桜の下で会食)などしたことがありません。
私の「花見」は、車で移動中の車窓からの「花見」です。

昨日は、一昨日の大荒れの天気とうって変わって、穏やかな晴天。
会葬に向う車での50分ほどの間、あちこち満開の桜を車窓から眺め、今年も美しい桜にあえたことをうれしく、有難く思いました。
写真は、立ち寄った親戚の寺の境内、4分咲きのしだれ桜(紅色が濃い)と、別種の桜(名前がわかりません)です。
どこの寺院関係者もそうですが、我が家でも、同様に、まだ子ども達が小さい頃、春休み時期といっても、他寺の法要に同行させること以外、ゆっくり遊びに連れ出すことなどできませんでした。
今以て、「花見」

私の「花見」は、車で移動中の車窓からの「花見」です。

昨日は、一昨日の大荒れの天気とうって変わって、穏やかな晴天。

会葬に向う車での50分ほどの間、あちこち満開の桜を車窓から眺め、今年も美しい桜にあえたことをうれしく、有難く思いました。
写真は、立ち寄った親戚の寺の境内、4分咲きのしだれ桜(紅色が濃い)と、別種の桜(名前がわかりません)です。
「さまざまの こと思い出す 桜かな」
芭蕉の句が、胸に浮かびます。
そして、
この桜を あと幾度見るのか・・・
との思いがよぎるとき、桜は、一層美しく
目に映ります。
おっしゃる通り、私も毎年思います。
「来年は桜を見ることができるだろうか?」と。
命あるかどうかもわかりませんが、私は目の問題をかかえているので、生きていたとしても、急に見え辛くなっているかもしれないと思い…