お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

阿弥陀如来は神さまなのか?

2011年02月14日 | Weblog
普通の家庭からお寺に嫁に来た私にとって
最初、ご法話は、チンプンカンプン。

 浄土真宗なんですから、当たり前なんですが

 最初っから、人格化した「阿弥陀如来ありき」というご法話。


 「阿弥陀さまを信心し、ただ念仏してまかせよ」
と聞かされても

 「阿弥陀如来って、神様みたいな存在なの
「なんかわかんないけど、阿弥陀如来という仏さまを信じこむことが大事なの

「浄土って、キリスト教で言う『天国』の仏教名

と、わからないことばかりでした。

 

 
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組若婦人(女性)の集い

2011年02月11日 | 行事・案内
 毎年2月に行われている
巨瀬組(浄土真宗本願寺派の11ヶ寺のグループ)の
 若婦人(女性)の集い
 今年は、2月27日(日)午後12:50~ 法専寺が会所で行われます

と言うわけで、昨年からご門徒の皆さんに
「今度は法専寺が会所です。他寺からたくさんお参りにいらっしゃいます。ウチが会所になるのは、11年に1回のことですから、若奥さんたちのご協力を

と、ご案内し、呼びかけ続けておりますが・・・
 果たして何人の方がおいでくださるでしょう

 今まで、法座にご縁のなかった若手女性の方々もたくさん来て下さるといいなあ

今年は、作法指導で若手法中(住職、若院)方が、寸劇もしてくださるそうです

 ウチの若院も「遺体」の役で出演します

 楽しく、ためになると思います。どうぞ、気軽にお参りください
 (お布施の心配は無用ですので、聖典と念珠だけご持参ください)



 
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自然とともに

2011年02月09日 | 雑感
 前回の「居ることのしあわせ」と通じるものですが

 私が子どもの時は、たくさん時間があって、感動することが多かったような気がします。
 「感動」というと、大げさかもしれません。大人にとっては、どうでもいいことでしょうが、幼い私にとって、面白い と思えることがたくさんありました。

 天井の節の模様とか、壁のシミとか
 カーペットの幾何学模様とか・・・
 空に浮かぶ雲の形や動きとか・・・
 花の形や色具合とか・・・

飽きもせず、眺めていたことを思い出します。

 昨日、ある方が仰っていたことですが

 今の子ども達は、夕焼けの美しさに感動しているでしょうか
 野の花の美しさに目を留めているでしょうか
 
 時間があっても、自然より、人工的なものに感動するのでしょうか
 

 
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居ることのしあわせ

2011年02月08日 | 雑感
 このところ佐賀新聞に、精神科医で作詞家の北山修氏の
 「幸せになれない理由」という題の記事が連載されているのですが

 きょうの記事は「居ることの幸せ」心のあり方次第
その中で、北山氏は

 幸せは、何か達成すること(doing)の幸せの他に、
何もしないこと(being)の幸せがある

 
 日だまりでのんびりしている猫のように

 私たちも、芝生に寝転がって雲を見る しあわせ・・・

 「ボーっとしていられる。そんな幸せを満喫することが大事なのでは。
特に年をとったらそうでしょう」

と書いておられ、
なるほど、ボーっとするしあわせ を忘れてしまっていることに
気づかされたのでありました。
 



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お世話になっています

2011年02月06日 | 仏教
 健康でバリバリ仕事して、身の回りの生活も、自分でこなしている時(わかっているけど)案外忘れがちなのが

 「私」は、たくさんの人の、あるいは、たくさんの物の お世話にならずには生きていけないってことです。

 たとえ、他人との関係を一切断ち切って
一人で引きこもりで生活していようと

 今、こうして生きているってことは
ものすごく、たくさんのお陰で生きている
ものすごく、たくさんのつながりの中で生きている

 
 たとえば、パソコン・携帯が自分の手に届くまでに、
一体どれだけの人が働いてくれたことでしょう。
レアメタル(海外)~物流(空、海、陸)~部品製造~販売

 今住んでいる家(部屋)も自分で建てたわけじゃない
 「私」は、ピッとスイッチを押すだけですが
水道もガスも電気も、
その陰には、数え切れない人と物のお世話になっています。

 そんなこと考えもせず、ピッとスイッチを押している。

 そして、私の食欲を満たすために、当然のように動植物のいのちを食べている。

 動植物に「ごめんなさい。ありがとう。」 も言わないで・・・

 私が今、生きているのは、その目には見えない ものすごい 陰のはたらきがあるからこそ

 本当に、地球の皆さん(資源にも)、お世話になっております。
 
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老・病

2011年02月04日 | 仏教
 お釈迦さまは80才で入滅なさった。

 パーヴァという町で食事の供養を受けられた後、
激しい食中毒?症状をおこされた。

 やさしいお釈迦さまは、食事を供養してくれた鍛冶職人のチュンダが責任を感じたり、人から責められたりしないよう、気遣っておられた。

 腹痛をこらえながら、クシナガラに向かわれる。

 そして、ついにクシナガラの沙羅樹の林の中で沙羅双樹の間に枕を北に向け床を用意するよう、弟子の阿難に命じられ
そこで、お釈迦さまは、右脇を下にし、横になられ、完全な涅槃に入られた。(入滅された)

 お釈迦さまも老・病の苦しみに耐えられた。
 もちろん、お釈迦さまは、愚痴は一言もおっしゃいません。

 お釈迦さまが入滅なさったのは、2月15日だそうです。 

 ちなみにご遺体を北枕に寝かせるのは、このお釈迦さまの涅槃のご様子からきているようです。

  
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年寄りの愚痴

2011年02月02日 | 雑感
 84才の年齢の割に、足腰強く元気だった実家の母が、腰痛をきっかけに、急に老けこみました。
 昨日もちょっと顔を見に行ったのですが
亡くなった父の写真に向かって
「早く迎えに来て下さい・・・」
などと言います。

 痛みに耐えなくてはいけないこと
 それは、生身をもつゆえの苦しみですが・・・
 
 痛みそのものの苦しみというよりも
痛みで、身体が思うように動かず、
自分のために周囲の手を煩わせるのが申し訳ない と思うようで

だから「長生きしすぎた」「早く死にたい」
と愚痴が出ます。

 ピンピンコロリ が理想ですが

 そうはいかないのが現実で・・・

 大多数の人間は、老・病 の苦しみを耐えなければ、死んでゆけない。
 
 いくら、人の手を借りるのを申し訳ない  と思っても
人の手を借りなければならない。

 「自分の身体が、ままならなくなった時は、変な遠慮をせずに、素直に人に甘えたらいい。お互い様なんだから。」
 「いのちある限りは、暗い顔しないで、気持ちを楽に生きてゆかねば・・・」と励まして帰ったのですが・・・

 生きていれば誰もが行く道

 何かあると、すぐ死にたくなっちゃう(そういう気分になる)幼稚で堪え性・忍耐力のない私は、この先どうなるだろう

 
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