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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

仏教壮年会

2006年09月09日 | 行事・案内
 昨日から真夏に逆戻りの蒸し暑さ。午後から雷雨になりました。
 今夜は、法専寺仏教壮年会があります。仏教壮年会はご門徒男性有志の会で、2ヶ月に1回例会を開き、仏教の勉強をしておられます。現在は住職が、お経(正確に言えば、聖教〔しょうぎょう〕である「正信偈」)の解説をしています。
 壮年会の会員は30代から70代まで年齢は幅広いのですが、年代をこえて和やかな会です。
 
 会員は、例会以外に盆前と年末の年2回、本堂や境内の清掃奉仕にも来てくださいます。家では雑巾を握ったこともないであろう男の方々が、本堂拭き掃除にも汗を流してくださいます。
 また、夏の境内の草刈りでは、今年こそ被害者が出ませんでしたが、毎年のように蜂に刺される方があり、暑さと痛みの二重苦で本当に申し訳ないことです。
 このような皆さんの有り難いご奉仕のお陰で、お盆も正月もきれいな本堂・境内で迎えることができるのです。
 
 また、昨秋からは、近くの公園をお借りして、仏教壮年会会員とその家族でのグランドゴルフ大会も開かれています。幼児も参加して歓声が上がります。
 
 仏教壮年会の新年会と5月の総会後の懇親会は、楽しくお酒を飲み交わして大いに盛り上がります。
 
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花屋さん

2006年09月08日 | 雑感
 お花の行商をされているNさんから、お花を買うようになって、もう20年になります。夏期は毎週、冬季は2週間ごとに、金曜日の夕方「お花をお持ちしました!」と来てくださるのです。
 その折りNさんは、ご自宅用に育てた無農薬野菜や手作りの味噌、青紫蘇のジュースなどご厚意でくださるので、ウチの家族は有り難くその恩恵に与っています。
 またNさんは、小さな子どもの時から大人に連れられて、よくお寺の法座にお参りされていたらしく、お寺の行事のこともよくご存じです。
 そして、うれしいことに私が毎月、月替わりで門前の掲示板に貼っている法語を楽しみに読んでくださり、感想を言ってくださるのです。大変有り難く、励みになります。
 本当に私って、たくさんの周囲のご厚意に支えられて、生かさせていただいています。合掌
 
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男子誕生

2006年09月07日 | 雑感
 昨日無事、皇室に親王様がご誕生され、おめでたいことです。
 難しいことはわかりませんが、天皇家では、男系男子のDNAの継承が論議されていましたね。
 
 皇室とは恐れ多くも全く異なる別次元の話ですが、
 お寺も代々(男系DNAとは関係なく)、「お坊さんは男」という通念のため、男子が住職を継職することがほとんどです。
 
 まだ、私が「若坊守(若奥)さん」と呼ばれていたその昔、男の子を産むことを大いに期待されていました。雅子様ほどのプレッシャーではありませんが、それなりに、悲しい思いもしました。
 2人目の娘を出産した直後、「お嬢さんですよ」と助産婦さんから性別を聞かされた時、私一人は「ラッキー!!これで、お嫁さんを迎えて嫁姑のバトルをしなくていい」と、内心喜んだことでした。(お寺の家族は、数世代同居ですから)
 
 今は、女性僧侶も女性住職さんも増えました。それでも、社会通念としては、「お坊さんは男」かもしれません。
 
 
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遠来の友人を心待ち

2006年09月06日 | 雑感
 オーストラリア友人一家5人が、今月末、来日します。彼女は、ロータリークラブの交換留学生として高校生の時、来日。私の実家がホストファミリーであった縁で、もう30年近く交流があります。
 
 今回は、20余年ぶりの来日で、ご主人と3人の子ども達は、もちろん初めての日本。その第一歩がウチなので、責任重大です。「日本人家庭って、こんなにだらしがないのか」と思われそうで・・・。
 実家の母には来るたびに、「いつ来ても片づいてないねえ」と溜息をつかれる私ですから。
  と、言うわけで今少しずつ、片付けや準備にとりかかっています。何しろ、来日が26日。お寺が忙しいお彼岸明けすぐなので。
 
 彼女達が来たら、こんなことは一生の内、何度もあることじゃないので、私も国際親善を理由に、一緒に遊ぼう!とわくわくしています。

 また30日は、私の友人達がウチに来てくれます。
 数年前、亡くなった幼なじみを偲ぶ会を毎年彼女の姉上宅で開いている(私がお経をあげてエラソウに仏事をしている)のですが、今年はウチのお寺で集まることにしています。
 その友人達にJanも会いたいということで、その日まで、Jan一家はウチに滞在し、当日夕方直方に移動します。
 
 来てくれる友人へ

 30日の会を早くに予定していたところ、後から思いがけずJanの来日が入っておじゃまします。
 当日の昼食について、かなり大人数になるし、日本語ペラペラのJanとオバサン達がおしゃべりし、日本語のわからないご主人や子ども達が退屈しても、散歩できる公園が近くにあるということで、マイクロバスで送迎してくれる料亭に昼食を予約しています。
 本当はこのところ全国的に有名になった「季楽」で佐賀牛を食べていただきたかったのだけど、今回はJan一家のこともあり、ごめんなさいね。
 ご遠方を大変でしょうが、皆さんに佐賀までおいでいただくのを心待ちにしています!!
 
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お寺に住んで

2006年09月05日 | 仏教
 「お寺に住んでいて、気持ち悪くないですか?」と聞かれることがあります。境内に墓地があるから、幽霊や火の玉を連想されるのかもしれません。
「いや、仏様ばかりで、幽霊はいませんが、むしろ、誰か潜んでいるかもしれないと思うと、そのほうが恐いです。人間ほど恐ろしいものはありませんから」と、私。
 
 また、面と向かっては言われませんが、「お寺は、死者を預かり、死者を人質?にしてお金を要求するところ」という悪いイメージも多いようです。普段、お寺に足を運んでくださらない方ほど、こういうイメージをお持ちのようです。
 実際、うちの寺も数年前、本堂以外全て壊して、行事用の門徒会館と私たち住職家族が住まわせてもらう庫裏を新築しましたから、ご門徒さん方には多額の負担金でご迷惑をおかけしました。
 
 お寺で誤解が多いのは、住職を代々子孫で継職しているところが多いので、お寺は住職家族の持ち物だと思っておられることです。つまり、一般店舗のように、オーナーである住職が、顧客である門徒(檀家)に仏事のサービスを提供していて、門徒は自分がサービスを要求する時だけお寺に用事があり、自分の受けるサービス分だけ「お布施」という名前で支払いをする・・といった感覚です。
 
 だから、寄付をお願いすると、「普段の自分の生活に何の関係もないお寺に何故門徒というだけで、寄付を要求されるのか。自分の寺のことはは自分で何とかしろ!」と思われるわけです。
 でも、お寺は住職の持ち物ではありません。ご門徒さんの共有物で、オーナーはご門徒さんなのです。住職はいわば、ご門徒さん一同の代表として、お寺に住まわせてもらい、仏事をさせていただいているのです。
 
 その仏事についても、誤解が多いようです。
 仏事は、死者を慰めるために行うのでは、ありません。死者は阿弥陀如来に救われて浄土(仏の世界)に生まれ、阿弥陀如来と同じはたらきの尊い仏さまに成っておられます(と、浄土真宗では受けとらせていただいています)。
 仏事は、今は仏と成られている亡き方をご縁に、私たち一人ひとりが仏教に縁を結ぶために行います。「この私」が何の問題にもならないのでは、仏教ではありません。
 
 幸い法専寺のご門徒さんは、ご理解ある方ばかりで、物心両面から強力にお寺をサポートしていただいています。年数回開かれる法座(一緒にお経をあげて、仏教の話を聞く集い)も、大掃除にも、おとき(肉魚を使わない精進料理の昼食)当番も、ご自身の諸用を差し置いて、お寺に駆けつけてくださる有り難い方々がたくさんおられるのです。住職(夫)も私も大変幸せものです。
 
 第一、自分のことを棚に上げ、仏さまのご威光を笠に着て、いつも偉そうなことを話したがる、私を寛大に見まもり、支えてくださっています。感涙の毎日です。
 
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若い方々へ 仏教とは?

2006年09月04日 | 仏教
 今年の盂蘭盆会もたくさんの若い方にお参りいただきましたが、その折、若い方々に差し上げた文書(上記タイトル)をご紹介します。

 ○自分を知る教え
 
 人間はどうしても人に厳しく、自分に甘くなり、自分中心の考え方に陥りがちです。自分の考え、感性が常識、正義と思い上がり、争いが絶えません。
 人生順調な時は傲慢になり、失敗すると自暴自棄になります。人の成功をうらやんだり、ねたんだりします。
 恵まれた周囲のお陰にも気づかず、何でも「当たり前」と思っています。自分の欲が満たされ、自分が大切にされることだけ求め、人を思いやる心、「おかげさま」の感謝の気持ちを忘れがちです。
 自分の「いのち」にすら、鈍感に生きています。
 私たちは、「自分はわがままではない」と思っていても、自分中心の思いから離れられない「わがままな存在」なのです。

 仏教では、そういう私たちを「凡夫(ぼんぶ)」と言います。それは、仏さまを知ることで気づかされる私の姿・自覚です。

 ○仏のこころに出逢う教え
 
 そんな凡夫を「何とか救いたい」という仏さま(阿弥陀如来)の願いを「本願」と言います。私が仏さまにお願いする「願いごと」ではなく、阿弥陀さまの方から、私たち一人ひとりに「自己中心の生き方を恥じて、真実のさとりに目を向けるように」と、願われている、仏さまの慈悲のこころが「本願」です。
 浄土真宗では、滝にうたれたり、座禅をしたりする修行はありませんが、仏さまのこころを素直に聞くこと(聞法)を大切にします。聞法を続けて、
   自分を知ること=仏のこころを知ること です。
 
仏さまとは
 自分の思いで暴走する私の心にブレーキをかけてくださる存在です。
 私の人生の行き先をナビゲートしてくださる存在です。
 ガチガチの私の心をやわらかくしてくださる存在です。

 いろいろな宗教と称する団体がありますが、ニセ宗教に迷わないように、あなたの心に仏さまの「本願」をしっかり受けとってください。

*迷信、運勢、占いに惑わされない生活をしてください。(偉そうなことを言う教祖、占い師の言うことではなく、仏さまの言われることを聞いてください)

*仏教を死んでからの教え(生きている者が死者を慰めること)という誤った思いこみを払拭してください。仏教の主役〔めあて〕は死者ではなく、あなたです。
 

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生け花

2006年09月03日 | 雑感
 月に2回生け花を習っています。お寺は生け花が必須です。本堂の花、座敷の床の間の花・・それも、一カ所ではありません。行事前は花生けが一仕事となります。
 私が教えていただいているのは、近所のごく親しいご門徒さんで池坊の華道教授として活躍されているMKさんです。長年、丁寧にご教授いただいているにもかかわらず、また、上級の免許状を拝受しているにもかかわらず、テキトー、イイカゲン、その場限りで不熱心な生徒である私は、上達もせず、ご迷惑をかけています。
 先日は久々に「正風体立花」という決まり事、形のきちんとした伝統的な生け花に挑戦しました。先生のアドバイスなしに、「試験だと思って、自分で花をいけてみて」と言われて・・・
 言うまでもなく、結果はひどいもので、私、基本すら忘れていて(身に付いていない)、途中で「あっ!?」と青ざめ、やがて赤面。自分が情けなくて、今回は本当に反省しました。もっと、きちんと、まじめにやろう。
 でも、頭は大きいのに、中身が軽い私は、脳の容量が少なくて、新しいことが入ると、前のことは忘れてしまう。やがて、かんばろうと思ったことすら、忘れてしまうのでしょうか。ああ・・・
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法専寺の門徒さん

2006年09月02日 | 雑感
 今日も晴れ。 朝、畑でナス、ピーマン、モロヘイヤを収穫しました。畑と言っても、庭に作った畳2畳分ほどの小さな畑です。私がするのは、日照り続きの時に水をまき、後は収穫して、料理し、食べるだけ。
 季節に応じて、植え付けから手入れまでしてくださるのは、門徒総代(役員)さんのM氏ご夫妻です。M氏ご夫妻は畑手入れのついでに、植木の手入れ、境内の清掃奉仕までしてくださいます。
「自分の健康のため、楽しんでお寺に来ているのだから・・」とM氏夫妻。私はもう、すっかりお二人に甘えています。
 
 一般家庭(一応、同じ宗派の門徒ではあったが、お寺、仏教に疎い平均的?家庭)から、何を間違えたか、ここ法専寺に嫁に来て25年。 私は、M氏ご夫妻以外にも、たくさんのやさしい寛大なご門徒(檀家)さん方に支えられてきました。本当に有り難いことです。
 ご門徒の皆さん! この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。いつも、ありがとうございます。
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夏の終わりに

2006年09月01日 | 雑感
 今日は久々の晴天。 そして9月。
 今年の夏も暑かった!! 長引いた梅雨明け後は、火傷しそうな強い日差しに体温並み、いや体温以上の気温。もはや、精神論をこえた、具合が悪くなる暑さということで、今年6月、お陰様で、法専寺も本堂にエアコンが入りました! 
 
 特にうちの寺では、お盆は各ご家庭に盆経に回る代わりに、門徒(檀家)の皆さんにお寺へ足を運んでいただき、ご一緒に盂蘭盆会(うらぼんえ)という行事をおつとめしています。 昨年までは、一同汗だくでお経をあげ、法話(仏教のお話)を聞いていただいていましたが、今年は涼しく快適でした。  
 
 法専寺では約10年前から、盆経は初盆のお宅と、ご希望のお宅だけお参りにお伺いし、その他のご門徒さんは盂蘭盆会にお参りいただいています。
 盂蘭盆会には、お盆で帰省中の若い方、ご親族お揃いで、また、小さな子どもさんもご一緒に親子4代でお参りいただいくお宅もあり、大変ありがたいことです。
 ただ、自分ちの墓参りをして、自分の亡き家族、先祖にだけ感謝するのではなく、こうして、老いも若きも一緒にお経をあげ、仏さまに手を合わせ、心を合わせ、自らをふり返る本当に尊いひとときです。

 昨夜はスーと冷たい風。久々にタオルケットをしっかり巻き付けて眠りました。
日中のせわしい蝉の声に代わり、夜は虫の声が静かに響き始めました。
 
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