お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

たまたまの人生

2008年04月24日 | 本紹介
 池田晶子さん著「暮らしの哲学」毎日新聞社

 p14に 「たまたま」のこの人生  という章があります。

 「格差」や「勝ち組」「負け組」に関して

 「格差」というのは、ひょっとしたら、外にあるものではなくて、内にあるもの、その人の心の中にあるものではないか。比較する心そのものなのではないか。

 そして、「たまたま」自分がここに生まれて、あそこに生まれなかった ということについて

 カースト社会の末端で飢えているのが、私なら、六本木ヒルズでセレブな暮らしをしているのも私だ。誰も彼もが私であり得るのだけれども、なぜだか私はここでこの人生をやっている。だとしたら、今のこの私の人生なんてものも、全く相対的なものじゃないか。

 私は、たまたま住職後継者と結婚したから、お寺に住んで、僧侶になる縁も恵まれ、何だかんだエラソウなことばかり言っている

 夫の職業によっては、その筋の「姐さん」になって、若いモンに檄を飛ばしていたかもしれない。

 いや、内戦の続く劣悪環境に生まれて、早々に死んでいたかもしれない。

 今、こうして「たまたま」「私という人間」を「ここで」生きていることほど不思議なことはない と思う。

 曾野綾子さんの本(何であったか忘れましたが)にも、こういう意味のことが書かれていました。

 私は、この世の人の身に起こりうることが、自分の身におこっても何の不思議もないと思って生きている。

 この覚悟(諦観・・・「あきらめ」というより真実を悟る)で生きていれば、人と比較しない人生に恵まれ、些細なことでジタバタするのが、少~しは、軽減されるように思います。

 それが難しいのですがね。

 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その本持ってますよ~ (くれまちす)
2008-04-24 17:48:02
その本の帯の裏には本文からの素敵な文章が載ってますね。人生は、過ぎ去って還らないけれども、春は、繰り返し巡り来る。一回的な人生と、永遠に巡る季節が交差するそこに、桜が満開の花を咲かせる。人が桜の花を見たいのは、そこに魂の永遠性、永遠の循環性を見るからだ。それは魂が故郷へ帰ることを希うような、たぶんそういう憧れに近いのだ。
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法専寺 (法専寺)
2008-04-24 18:17:47
くれまちすさん、

そうですね。素敵な文章ですね。
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格差~ (維真尽(^^))
2008-04-26 20:27:58
とか~差別~
本人が自覚しないと~
それさえもわからない
そういう現実がありますね (>_<)
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差別 (法専寺)
2008-04-29 20:25:53
維真尽さん、

そうですね。
自らの心に気づかぬまま・・・恥じることもないまま・・・作り上げてしまうもの・・・
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