先日、町公民館で
売茶翁(ばいさおう・煎茶を広めた僧侶)のお話を拝聴。
売茶翁(1675〜1763)は佐賀鍋島藩の蓮池支藩に仕える藩医の三男として誕生。
12歳で蓮池支藩の黄檗宗龍津寺(佐賀市巨勢町東西)で得度。僧名は月海元昭。佐賀の龍津寺を拠点に諸国を回り、学問を重ねる。
書家、漢詩人としても当代一流の高僧が、62歳の時、京都鴨川支流な二の橋畔に小さな庵「通仙亭」を構え、茶を売る生活を始める。
「茶銭は、黄金百鎰より半文銭までは、くれ次第、ただで呑みも勝手、ただよりは、まけ申さず」
と、身分の隔てなく、禅の教えと共に茶を売る姿に、京都の人々は尊敬の念を込めて「売茶翁」と呼ぶようになった。
売茶翁のもとには、教えを請うために画家の伊藤若冲、池大雅など、当代の錚々たる文人が集った。
写真↑の売茶翁の肖像画は伊藤若冲が描いたものです。(伊藤若冲が描いた肖像画は売茶翁のみ)
伊藤若冲にお詳しい美術史家・狩野博幸先生は
「売茶翁がいなければ若冲はいなかった」
と仰るほど、若冲は売茶翁を尊敬しておられたようです。
現在、佐賀市松原4丁目に売茶翁を顕彰し、煎茶をいただける「肥前通仙亭」があります。
また、売茶翁が得度され、佐賀の拠点とされた龍津寺(りゅうしんじ)は蓮池藩ということで現在の蓮池町にあると思われる方が多いそうですが、龍津寺があるのは、現在の巨勢町東西(こせまちとうさい・かって蓮池支藩だった)です。
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