いろいろな方とお話していて、思うことです。
無いものねだり の方が、いかに多いか・・・
例えば、
一人暮らしの方は、家族と仲良く連れ立っている人を見て、羨ましく思い、
「どうして、自分だけ寂しい思いをしなければならないのだろう」と嘆く。
一方、家族に恵まれている人は、それはそれで、子どものこと、親のこと・・・悩みは尽きず、
「ああ、独身の人は、気楽でいいなあ~」と思う。
仏説無量寿経(本願寺・現代語訳)に
「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む」
「田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む」
「たまたま一つが得られると他の一つが欠け、これがあればあれがないというありさまで、つまりはすべてを取りそろえたいと思う」
という 世間の人々(「私」)の姿を 表現された経文があります。
仏さまが、「私」に願われていることは、そういう心の愚かさに気づき、「さとり」に心を向けよということ。
無いものを嘆くより、恵まれているものを喜ぼう と、
そう、自分に、言い聞かせている私です。
無いものねだり の方が、いかに多いか・・・
例えば、
一人暮らしの方は、家族と仲良く連れ立っている人を見て、羨ましく思い、
「どうして、自分だけ寂しい思いをしなければならないのだろう」と嘆く。
一方、家族に恵まれている人は、それはそれで、子どものこと、親のこと・・・悩みは尽きず、
「ああ、独身の人は、気楽でいいなあ~」と思う。
仏説無量寿経(本願寺・現代語訳)に
「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む」
「田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む」
「たまたま一つが得られると他の一つが欠け、これがあればあれがないというありさまで、つまりはすべてを取りそろえたいと思う」
という 世間の人々(「私」)の姿を 表現された経文があります。
仏さまが、「私」に願われていることは、そういう心の愚かさに気づき、「さとり」に心を向けよということ。
無いものを嘆くより、恵まれているものを喜ぼう と、
そう、自分に、言い聞かせている私です。
そうですね。
仏教は「少欲知足」を説きます。
ふくろうさんと違って、中には、「欲があるから、進歩がある」
「現状満足なんて、つまらない」と仰る方もあるのですが、
どんなに努力しても、どうしようもないこと
妬んでも、恨んでも、自分の苦しみを増すだけのことには
仰るとおり、「現状の中で、満ち足りていることを知る」
ことが、心の救い であり、仕合わせ かと思います。
ご紹介いただいた「高瀬舟」を先日、読み直してみました。ありがとうございます!
維真尽さん
もちろん、凡夫の私は、常に心が騒ぎますが、
仏さまの御心を思い出しては、
「そうだった、また、私一人で、不幸のヒロインみたいに嘆いていた・・・恥ずかしい」と、しみじみ思い直しています。
そう簡単には 悟りきれませんで~す (^^ゞ
私も、若い頃から不平不満を持っていましたが、最後の窓際生活10年のうちに、価値観、ものの見方を変えることで、いくらからそれから解放されました。
キーワードは「知足」
満ち足りていることを知る、今風に言えば、現状満足ですしょうか。
他人の芝が青い、ということはなくなりました。
私の切り札は、森鴎外の「高瀬舟」です。
短編だし、ここで読めますから、まだご存じなければ、お読みください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html
くよくよ、するのが空しくなります。