8月6日、浄土真宗本願寺派佐賀教区の平和の集い(全戦争犠牲者追悼法要)でした。
今年は会場に少人数ながら3年ぶりに集い、教区内各寺院にだけZOOM配信ということだったようです。
それで今年は、コロナ前には欠かさず会場にお参りくださっていた総代のN氏ご夫妻が当寺にみえて、私たちも一緒に画面ごしのお参りをさせていただきました。写真↑
N氏はお誕生後間もなくお父様を戦地で亡くされています。
戦地のお父様はお母様との手紙のやり取りで、我が子が無事誕生したこと、命名まではご存知だったと、お聞きしました。
戦争は残酷で、つらすぎます。
法要では
仏説阿弥陀経のお勤めの後、
大分教区のN先生の御法話をお聞かせいただきました。
平和とは単に戦争が無い状態でないこと。
平和とは、寂静、安穏にあること。
1人、1人、自分の自己中心性の危うさをよくよく自覚すること。
「仏教徒として平和を考える」
「何をもって仏教徒と言うのか」
という先生の問いかけが心に深く残りました。
尊いご縁を賜りました。ありがとうございました。