お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

天岸先生の言葉

2014年12月22日 | 仏教
 大阪の天岸浄園先生が佐賀までご出講くださっている「聖典を学ぶつどい」の末席で私も聴講させていただいているのですが
このところ何だかんだでドタバタし、このところ欠席ばかりで残念に思っています。

 その天岸先生も講師を務められている大阪高槻市の「行信教校」(仏教を深く学ぶ専門学校)の季刊誌「一味」に
先生が書かれた記事があります。
 勝手ながら、少々紹介させていただきます。

 (略)親鸞聖人は結婚をされました。この「破戒」をどのように考えるかは重大なことです。実は、親鸞聖人の師であられた法然上人は、阿弥陀仏の救いは、出家・在家、男・女、老・少、善・悪、賢・愚、持戒・破戒・・・をえらばないと言われました。しかし、一般的な仏教の考え方では、在家より出家。(中略)愚者よりも賢者、戒を破った者より戒を保っている者のほうが、仏さまにより近いと考えられていました。
 ですが、法然上人は分け隔てのない阿弥陀仏のおこころからうかがうと、賢者より愚者、出家より在家、戒を保てる者より、破らねばならなかった破戒者・・・に心がかかると受けとめられたのです。ここには、仏教を修行の功績主義で見ていく視線から、救いを中心とした教えへと展開されたことがうかがえます。
 親鸞聖人は、その阿弥陀仏のこころを自身に受けとめられて、家庭という複雑に人間関係が絡み合う中にこそ、仏さまの教えが必要であると受けとめたれたのでした。これは一見仏教が世俗化したように見えますが、世俗を仏教化かしていこうとする大切な宗教的方向転換というべきです。
コメント
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