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叱られたことしかないから、ほめ方わからない

  • 保坂展人
  • 2014年7月22日
     

 いまから20年前、私は「早期教育」の取材を続けていました。

 バブル経済が崩壊し、日本社会が急速に勢いを失って収縮していった時代に、早期教育はひとつだけ気を吐いている成長産業でした。とりわけ、「生まれたらすぐ読み聞かせ」「早ければ早いほど赤ちゃんの才能は伸びる」などと宣伝し、乳幼児を抱える母親たちの多くが無我夢中でそのプログラムにはまりこんでいました。

 当時、早期教育の渦中にいた乳幼児の母親たちのインタビューを重ねて1冊の本(『ちょっと待って! 早期教育』、1996年)にまとめたのですが、そのなかに、A子さんという母親のことを紹介しています。

 早期教育の題材を子どもに与え、成績に一喜一憂する自身の中に、かつて自分が子どもだった時に親から育てられたときの「記憶」が強く作用していることに気がついた、というのです。

「私は幼稚園から大学まである私学のエスカレーター校に通っていました。3歳からピアノのレッスンを始め、母は音大をめざせと練習にもつきっきりで叱咤(しった)激励していました。間違うとピアノの椅子ごと突き飛ばされるぐらいに厳しい母でした。また、父はサラリーマンでしたが手製のオリジナルプリントをつくっていて、学校の勉強を叩き込まれました。そのせいで、私はいつも学年で1番だったのです」

 しかし、A子さんは「学年1位」でありながら、「次はどうなるわからない」と次のテストで転落することにおびえ、心休まる日はなかったと打ち明けてくれました。

 子どもの頃、楽しいと思った記憶がなく、幼稚園の頃から「自殺願望」さえあったといいます。両親との会話でも、「なぜ、こんなことができないの!」「あんたやっぱりダメね」という言葉が耳に残っているそうです。徹底したスパルタ教育のもと、A子さんは両親の思い通りに成長しているかに見えました。

 ところが、まもなく亀裂が生まれます。高校卒業後の進路をめぐって、両親と激突したのです。成績優秀のため無条件に進学できる大学があるのに、看護師志望のA子さんは「看護学校に行く」と宣言。その通りに進み、やがて医療現場で働くようになって、両親のコントロールから抜け出したそうです。

 A子さんはその後、結婚して2人のこどもに恵まれました。

 あるとき、まだ幼児だった息子の前に通信教育の教材を広げ、鉛筆を持つように促しました。息子は「いやだ」と反発します。いとも簡単に母親の要求を拒む姿を見て、A子さんは冷静でいられなくなりました。身体中がカーッと熱くなったのです。A子さんは窓のサッシを手早く閉めると、息子を思い切り叩きました。「その瞬間、スーッとしました」

 なぜ、あの瞬間、怒りの感情が噴き出したのでしょう。

「いやだ!という一言を、幼い頃の私はどうしても言えなかった。その記憶がよみがえってきたのかもしれません」

 A子さんは、子ども時代の記憶と重ねて、このように言いました。

「自分が親から言われたことをそのまま、子どもに言ってしまうことがあるんです。私、厳しく叱られてばかりで、ほめられた経験がないから、どうやって子どもをほめたらいいのかわからないんです」

 さらに、子どもがベタベタと甘えてくると不快になって突き放してしまうというのです。「私自身が母親に甘えた記憶がないんです。生理的に受けつけられなくて」

 A子さんのケースはわかりやすく、特別な環境の下で育った人の悩みであるように見えますが、私はここに大きなヒントが隠れていると感じました。

 教育のプロセスの中で、誰もが勝ち続けられるわけではないということです。学校の成績が下がって壁にぶつかったり、志望校に入れずに落ち込んだり、習い事やスポーツで結果を期待されながら挫折したり。子どもも大人と同じように、「いい思い」だけでなく、「トラウマ」とともにあるのが一般的です。

 にもかかわらず、早期教育が発信する情報は単純明快で、直線的なものでした。

<早期教育によって勉強ができるようになり、成績が上がれば『いい大学』に入ることができ、お子さまの将来の選択肢はぐっと広がります。早く準備を始めておけば後悔することはありません。それができるかどうかは、子どもに愛情を持つ親の力なんです>

 振り返ってみれば、あの頃は、「日本型終身雇用」の残影がまだくっきりとありました。いわば「いい学校から、いい会社へ」つながる道の入り口さえくぐることができたら、生涯安泰という信念にも似た感覚が一般的だったのです。

 ところが、この20年で雇用環境は激変しました。20代の多くは非正規労働につき、日本を代表するかに見えた大手企業が外資に売却されて再編されるなど、「会社が人生を守ってくれる」という疑似コミュニティは崩れつつあります。

 それだけではありません。この間に子どもの数は大きく減りました。1992年に205万人だった18歳人口は、2012年に119万人と、およそ6割まで落ち込んでいます。社会はこれだけ変わったのに、あいかわらず、「人間の価値は学歴だ」と信じ込み、「偏差値」や「有名校進学」などを絶対視する傾向が根強いのはなぜでしょう。

 私自身は、1970年代の半ばに「日本型学歴社会」の軌道を大きく外れました。人の幸せは学歴につきるという「学歴信仰」から言えば「落伍者」、あるいは「気の毒な失敗作」ということになります。ただ、私自身は早めに軌道を離れてよかったと思います。強がりではなく、悔いはありません。

 だからといって、私自身の経験を次世代に押しつける気持ちは毛頭ありません。「学歴信仰」もまだしばらくの間は残るでしょう。この伝統的な価値観はそこそこ意識しながらも、絶対化することなく、できれば相対化してほしいものです。

 それにともなって、新しい子育てや教育についての価値観が広がっていくように思います。「子どもの中に宿っている『成長する力』を信じる」。そんな若い世代の親たちの声が少しずつ増えてきたように感じています。

 ミヒャエル・エンデが『モモ』で描いたように、子どもたちは「時間貯蓄銀行」のような「時間泥棒」に囲まれて日々を過ごしています。

「大人になるための準備」だけに追われる子どもたちから、遊びが奪われています。全身を使って動き、大きな声を出し、走り、転び、笑い、泣く……。疾風怒濤(どとう)の子ども時代だからこそ味わえる遊びの興奮とカタルシスが、人間として生きていくための感情の基盤、すなわち自己肯定感をつくりだすのです。

「叱られたことしかないから、ほめ方わからない」(「太陽のまち」2014年7月22日)



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