「コンダクト・オブ・ザ・ゲーム」(ジョン・ハフ・ジュニア)は、ずいぶんと若いころに読んだ野球小説だ。主人公は兄によって野球に目覚めるが、その兄は交通事故で亡くなってしまう。ひょんなことからジュニア・チームの審判をすることになった彼は、次第に“試合を指揮する”審判という存在にのめり込んでいく……
わたし、この小説を読んだときに、実は号泣してしまいました。第一章が、まるで自分の体験といっしょだったこともあって。
兄が願っていたことを、弟がどう実現するかという物語であり、野球だけでなく、偏見や差別にどう正確なジャッジを示せるかというお話でもあったのだ。いまでも読めるのだろうか。
野球の審判はそれほどに大切な存在だ。今日の巨人VSヤクルト(すげー試合でしたねえ)で解説をしていた桑田はいみじくも「審判が試合をつくるんですよね。だからビデオ判定とかは実はあまり好きじゃないんです」と語っていて、まったくそのとおりだと思った。
しかし。
コリジョン・ルールに関して、特におとといの阪神VS巨人における、小林の走塁を原口がブロックした捕手対捕手のシーンに、このルールが適用されたことに多くの批判が寄せられている。
わたしは納得できない。朝日放送のアナウンサーの言う、これが認められないんならバックホームの醍醐味が失せる、という考え方にわたしは反対だ。
野球は肉弾戦じゃない。肉弾戦を求める人たちが多いのは承知しているけれども、そこは考え方を改めるべきだと思う。元ロッテの里崎、鉄人衣笠など、わたしが尊敬するプレイヤーもいっせいにこのジャッジに異を唱えているが、成功体験がある人たちの言い分ではないかと不満。もっと審判を尊重しよう。
トレーニング法の改良などによって選手生命はずいぶんと長くなった。球団も“故障者が出るのは当然”という形でチームメイクをするようになってはいる。でも、やはり理不尽(わたしにはそう思える)な走塁を“醍醐味”と片付ける気持ちにはわたしはなれない。スーパープレイが生まれる要素は、もっと他に存在するはずだ。
おそらく、ルール改正したばかりだから過剰に厳格なのだというまとめにマスコミは入るだろう。でも、わたしはやはり捕手を守りたい。あのポジションは消耗品じゃない。ゲームをコンダクトしているのは審判だが、チームをコンダクトしているのはまさしく捕手ではないか。
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