その5はこちら。
「大友さんたちはこう言うんです。清盛、のってないでしょ?だったら坂本竜馬でいきましょうよって。でもお偉いさんは前にやった人物はダメって言ってたんですよね。秀吉とか信長って何回も何回もやってるじゃないかとは思いましたけれども(笑)。でも彼らは『現場の意向なんですからって言っときゃ大丈夫です』と」
「ホントかなあと思いながらそのお偉いさんに、坂本竜馬でお願いしたいんですがと言ったら、『福田さん、言ったじゃないですか。竜馬はですね、昭和43年に司馬遼太郎先生の竜馬がゆくでもうやっちゃってるんです』と返されまして、でもこちらも粘ったら『仕方ありません。じゃあ司馬先生の竜馬でなかったら、ということで妥協しましょう』ということに」
ここから、龍馬伝がスタートしたわけだ。しかし史実を調べれば調べるほど、司馬版竜馬から脱却することがいかに困難かがわかってくる。
「坂本龍馬という人はね、実は何をやってるかよくわかんない人だったんです。なにしろ、明治維新の前に暗殺されていますから、ほとんどの明治の偉い人たちは彼に会ったことがない。メディアも発達していませんし。」
「ところが、日露戦争が始まるときに、皇后の夢枕に立って坂本龍馬と名乗る見知らぬ男が『海軍を守る』と語ったという話が評判になって、そこから龍馬は海軍の守り神として有名になったんです。海の神様だったのでそっち関係に例の懐手の写真が飾られたりした。」
「でも大正、戦前、戦後と時が経つにつれてまた忘れられていったんですね。そこに登場したのが司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』で、これが大ベストセラーになり、坂本龍馬というのはこういう人なんだということになった。」
「あの小説を読んだ方ならおわかりのように、最初は典型的な剣豪小説だったんです。お姫さまに見初められる剣客みたいな。ところが、司馬先生も違った描き方ができるとふんだんでしょうね。次第にトーンが歴史っぽく変わってくるんです。そうなると、あの小説に描かれたことが史実であるかのようにみんな考えるわけですよ。典型的なのが勝海舟との出会いで……」
わお。まるで文化講演会のようではないですか。あ、文化講演会だった。以下次号。
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