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この「安寿と厨子王」をベースに、文学作品として昇華させたのが森鴎外の「山椒大夫」。わりにオカルティックなところ(仏像のおかげでケガがみるみる快癒するとか)もあるお話を、“献身”というテーマのもとに飾りをそぎ落とした作品になっている……んだそうです。お恥ずかしい話だけれど、わたしは読んでいません。鴎外はどうも小難しいんだよなあ(青空文庫でようやく拝読)。
その鴎外が主眼としている「献身」とはどんなことかというと、姉の安寿が弟を逃がすために自己犠牲になる部分。山椒大夫の手下に拷問を受けて死んでしまう彼女の心に普遍的価値があると踏んだようだ。
さて、今度はその鴎外バージョンの安寿と厨子王の物語を、大映で映画化したのが世界の溝口健二。これが、傑作。
格調高いタイトルのあと、よくわからない輪のようなものが映る。いったいこれは何だろうとあとから調べたら、平安時代以前からある寺の礎石ということだった。つまり、これは大昔のお話ですよという宣言であると同時に、寺があとで大きな意味をもってくる伏線でもある。無機質なオブジェがなにごとかを語りかけてくるようだ。開巻から、うまい。
越後の山道を歩く一行の描写。高貴な一族であることがわかる。母親の玉木(田中絹代)、兄の厨子王(加藤雅彦、のちの津川雅彦)、妹の安寿、そして女中の姥竹(浪花千栄子)の四人。子どもたちは「父上に会える!」とはしゃいでいるが、母と女中は陰鬱な表情だ。
この、まったく笑顔を見せない能面のような田中絹代がすばらしい。声も低く抑え、まもなく始まる悲劇を予感させる。撮影前、田中は溝口から肉食を禁じられていたとか。あいかわらず無茶しますこの監督。
道々、父親(清水将夫)がどうして遠くにいるのかが明らかになる。太守として善政をしいていた彼は、理不尽な課税を拒否して(領民からはリスペクトされるものの)、将軍からにらまれ、左遷させられたのである。以下次号。
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