事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

日本映画と戦後の神話Ⅱ~寅さん登場

2008-09-08 | 本と雑誌

「おはなはん」篇はこちら

“神話に彩られていない八月十五日”とはどんなものだったのか。四方田の著作によれば……

「その日の正午から放送された天皇裕仁の朗読はわずか4分37秒であり、聴衆者にほとんど理解されなかった。その直後に放送局の職員が解説し、再度ゆっくりと朗読がなされ、さらにそれに解説が加わって、全体で放送は37分30秒の時間を要した。こうした事実を踏まえてみると、聞き取りがたい玉音放送を聴いた国民がただちに日本の敗戦を知って深い衝撃を受けるという光景は、ありえないものであったと判明する。」

 それでは、玉音放送を聴いて皇居前で涙ぐむ人たちをとらえた報道写真はいったい何だったのか。終戦の事実を前もって知っていた新聞社は、前日に予定稿を準備し、“たまたま”皇居前を通行中の一般人に宮城礼拝の姿勢をとってもらった、つまりはやらせ写真だったのだ。昭和20年8月15日の前も後も、日本のメディアの体質と、日本人の読解能力の低さに大きな差がなかったことがこれで理解できる。玉音放送への驚きは、その内容よりも“天皇の肉声”がスピーカーから流れ出たことの方が大きかったのだ

敗戦から60年以上たち、報道に何度も裏切られてきたにもかかわらず、わたしたちはまだまだ『ニュース』を盲信しているではないか。そんな姿勢を、四方田の冷徹な考察は痛感させてくれる。

Atsumi01 戦後の最大の(トリック)スターが裕仁であったように、映画界で光り輝いたのは渥美清。小林信彦の「おかしな男」の号でもふれたように、寅さんと同一化して考えられがちだが、彼はなかなかにシニカルな人間だった。

「渥美は個人的には、むしろ『刑事コロンボ』のピーター・フォークのように、知的洞察力に満ちた道化役の探偵を演じてみたいという野心をもっていたが、結果的に寅さんを長きにわたって引き受けることになった。」

……確かに面白そうだ。渥美のコロンボ。彼の切望は「八つ墓村」の金田一耕助役でかなえられるが、しかし歴然とミスキャストだったのは残念。寅さんに関してはもうひとつエピソードを。“幻の脚本”が存在したというのだ。以下次号「幻の脚本」につづく。

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