事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

日本映画と戦後の神話Ⅲ~幻の脚本

2008-09-08 | 本と雑誌

D0084710 「寅さん登場」はこちら
四方田犬彦による寅さん論はつづく。

「だが『男はつらいよ』は最初からこうした微温的なユートピアを舞台としていたわけではない。切通理作によれば、シリーズの第三作にあたる『フーテンの寅』(山田洋次脚本、森崎東監督)には、森崎によるまったく別の脚本が本来は予定されており、それが会社の意向によって最終的に山田の脚本に変更されて製作がなされたという。廃棄された森崎版脚本では、寅さんは香具師仲間とのいざこざが原因で指を詰めろと脅迫され、結婚の約束までしていた女性を置き去りにして逃げ出す。彼は懐に手を入れ、匕首を握る素振りを見せたり、人をこれまで三人殺してきたなどと大法螺を吹いたりする。森崎はこうして、寅さんが潜在的に抱え込んでいる反市民社会的な行動様式と世界観、さらに暴力との近隣性を浮き彫りにしようとしている。」

 実現していたらさぞや面白い寅さんになったであろう。しかし国民映画としての寅さんは、命脈をその時点で絶たれたはずだ。インテリ層からは徹底的に無視され(評価したのは日共系の評論家だけだった)、観客の支持だけがたよりだった寅さんシリーズが、作品的にも高評価を得るようになったのは70年代後半になってからではないだろうか(浅丘ルリ子演ずるリリーが出る回と、太地喜和子の『寅次郎夕焼け小焼け』はわたしも大好きだった。授業さぼって高校時代に見ましたよ)。山田洋次の企みは、現実にはありえない設定上で(だって葛飾柴又がマジであんなふうであるはずがない)現実にはありえないドラマを徹底してつくりこむことだったはずだ。山田ワールドにおいて車寅次郎は暴力の匂いを消し去り、ほのかな恋情にのみ生きる男となっている。そんなフーテンの寅を、不満はあったかもしれないが渥美清は誠実に演じ続け、そして愛されながら逝った。

4103671041  四方田犬彦は、60年代末の喧噪を「ハイスクール1968」(新潮文庫)で活写しているが、この時期の映画界で無視できないのがATG(アートシアターギルド)。わたしの世代にとっては、インディーズ系映画といえばこの会社が製作したものだった。

「1968年から一貫して制作代表を務めてきた葛井欣士郎は、こうして失意のうちにATGを去ることになった。彼は大江健三郎の最高傑作である長篇『万延元年のフットボール』を吉田喜重に撮らせる準備をしていたが、残念ながらそれは実現できずに終わった。」

……かーっ!観たかったな吉田の「万延元年」。「戒厳令」のような政治映画になっていたら素敵だったのに。世に幻の企画は数々あれど、これはほんとうに惜しい企画だ。

次回は「幻の映画」を。

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