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さて、雇用とは生産の派生需要にすぎない、と主張した島田晴雄とはどんな人物だろう。前にプリウスのCMに出ていたし、コメンテーターとしても売れっ子だったから、顔はご存じの読者も多いと思う。小泉内閣のときに内閣府特命顧問として、もっとはっきり言うと小泉文化人として構造改革を支えてきた人なのだ。
そう考えれば、「100年に一度の経済危機」(このフレーズはさまざまな人の責任逃れに最適)のなかで、小泉構造改革への批判が高まっているからといって簡単に“転向”はできまい。むしろ竹中平蔵と同じように構造改革をもっと推進することで成長に転ずることができると主張し続けなければならないわけだ。
確かに彼の意見は、小泉ワンフレーズ首相と同じようにひたすらわかりやすいし、責任は評判の悪い麻生政権にあると主張することで耳に心地いい。
しかし。
彼の路線の行き着いた果てがこの始末だ。小泉政権下、規制緩和の名のもとに製造業への派遣労働が認められ、確かに“雇用の場”は増えた。素晴らしいことだ。が、それではなぜ、今までこんな素晴らしいことが行われなかったのだろう。それは、この国が“歯止めのきかない国”だからではないのか。せめて製造業への派遣を認めない旧制度が、かろうじてこんな最悪の事態への道をふさいでいたのではないか。おかげでもっと古い『口入れ屋の搾取』の世界に舞い戻ってしまったのだ。いったい旧制度はどっちだ。
しかも、島田の論に決定的に欠けているのが、労働者もまた消費者であるという発想。「雇用は生産の派生需要」をつきつめていけば、終着点は「民が滅んで企業が残る」であり、民が滅ぶ以上、企業が生き残れるはずもない。まして、格差社会の到来で治安の悪化、生活保護受給者の増加といった社会的コストが増大していることを考えれば、国も滅ぶことは自明ではないか。あ、そうか。グローバルカンパニーたちはそれでかまわないってことなんだね?
以下次号。
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