陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

暗闇の光

2008-06-11 22:49:12 | weblog
小さい頃、映画といえば父に連れて行ってもらうか、母に連れて行ってもらうかだった。わたしが小さい頃は、弟が赤ん坊だったりして、なかなか一家揃って映画に行くということにならなかったのかもしれない。ともかく、母と行くときはディズニー映画ばかりで、父と行って見たのは「ベン・ハー」とか「クレオパトラ」とか、名作のリバイバル上映が多かった。要は父は自分が見たい映画を観ていた、ということである。

だが、わたしは映画には父と行く方が圧倒的に好きだった。母という人はいまだにそうなのだが、自分の行動を、決められた時間から逆算して、出発の時間を決めたり、準備の段取りをつけていくということができないのである(本人にいくら指摘しても絶対にそのことを認めないから、その癖は決して改まらない)。用事のときでさえそうなのだから、まして映画など、開演時間という発想すらない。どうするかというと、適当なところで入り、そこから最後まで見て、また最初に戻り、自分が入ったところまで見て、そこで映画館を出るというすさまじい見方をさせられるのである。わたしはもう物心ついたくらいから、これがいやでいやで、自分が大人になったら決してこんな見方はしないぞ、といつも思ったものだった。大人になるだいぶ前からひとりで映画を見に行くようになったわたしは、未だに開演時間には自分でもいやになるくらい神経質である。

初めて見たのが何の映画だったかは覚えてはいないのだが、これはおそらく最初期の記憶だろう。クッションの貼ってある重い扉を開けたら、いきなり大きなスクリーンいっぱいに、鮮やかな色で目を奪われた。妙な帽子をかぶった外国人の男と、傘を持ちドレスを着たこれまた外国人の女が、地面に置かれた絵にぴょんと飛び乗った、と思うと、そこにはアニメーションのピンクのウサギやイエロー・オーカーのバンビが出てくる。いま思えば「メアリー・ポピンズ」にちがいないのだが、この絵に飛び込むという場面にいきなり度肝を抜かれたわたしは、「メアリー・ポピンズ」というと、ずっと、絵に飛び込む映画として記憶していたのだった。「101匹わんちゃん」は、さらわれた99匹の子犬の行方を捜す犬たちが、遠吠えで情報を伝え合う。暗い空を背景に、沈んだ色調で、犬の遠吠えが遠くこだましていくシーンから見始めたために、「101匹わんちゃん」は何とも暗い、もの悲しい映画として、わたしの頭には刻まれているのだった。

父親と行くと、そういうのとは全然ちがう。ちゃんと明るいうちに場内に入って、うまく坐らないと自分の体がVの字になってしまうような椅子に気をつけながら腰をおろし(記憶のなかの自分の足は、膝で降り曲がっておらず、レースの三つ折りソックスとバックルのついた黒い靴が座席の先でぶらぶらしている)、館内に流れる音楽にうっとりと耳を傾ける。やがて場内が暗くなって、コマーシャルをいくつか見たあとに、予告編があって、それから本編が始まるのだ。字幕だったはずなのに、字幕が読めなくて困った記憶もない。字幕そのものを読まずに、画面だけ見ていたのだろうか。それでもクレオパトラが自殺するときにコブラのかごにつっこむのを選んだことを覚えているのは、のちにどこかで見たからなのだろうか。

幼稚園には年に一度ほど、映画鑑賞会があったような気がする。だがそこではいったい何を見たのかまったく記憶にない。イエズス様のスライドや、シュバイツァーのスライドを見たことは覚えているのに、暗幕を張ったおゆうぎ室に集まって床に腰を下ろして、スクリーンを見上げたそこにいったい何が映っていたのか、その記憶はないのである。

小学校に入ると、毎年ではなかったが、何度か学校から映画館に出向いていった。一年のときに見たアニメーションは、最初が退屈で眠ってしまい、結局筋がわからず、学校に帰って感想文を書かされたときはたいそう困ったものだった。

高学年になって、なぜか学校からトリュフォーの「野生の少年」を見に行ったこともある。もちろん大人になるまで、監督も、映画のタイトルさえも知らなかったのだが、思い返すたびに、あれは芸術映画だったにちがいない、と思ったものだった。やがて何かの拍子にそれがトリュフォーの作品だとわかって、いったいなぜそんな映画に連れて行ったのだろうと思ったものだ。

みんなでぞろぞろと歩いていき、オオカミに育てられた少年の物語、と聞いてはいたのだが、あまりに芸術的すぎて、つまりは小学生が見るには、あまりに筋が曖昧なのだった。
帰りがけにみんなで、もっと言葉がしゃべれるようになるかと思ったね~、などと言いながら、いったいどういう映画だったのだろう、と、首をひねりながら帰っていった。だが、緑はこれまでみたどんな緑より美しく、日本でうっそうとした森というのは暗いものだが、フランスはあんなに美しいのだろうかと思ったものだ。あのときスクリーンで見た緑だけは、いまだに網膜の奥に残っているような気さえする。