陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

5.濡れ衣を晴らすより大切なこと

2008-06-18 22:57:37 | 
5.濡れ衣を晴らすより大切なこと

アメリカの作家ジェーン・スマイリーの『大農場』という作品は、シェイクスピアの『リア王』を、1970年代のアメリカのアイオワ州の大農場に舞台を置き換えたものである。単に舞台と時代を移し替えただけでなく、長女のゴネリルに当たるヴァージニアの視点で物語が語られていく。

ここでのコーディリアに当たるキャロラインは、理詰めで論理的で、長女と次女と父親のあいだの確執をまったく理解しようとしない、冷たい女性として描かれている(彼女の職業は弁護士である)。

確かに戯曲の『リア王』を読んでいても、コーディリアの態度はあまりに理詰め、という印象がなくもない。父親が、愛の言葉をそんなにもほしがっているのなら、少しぐらい聞かせてやっても、という印象を受ける。

だが、コーディリアはほんとうに理詰めで冷たい娘なのだろうか。
もし冷たくはないのであれば、彼女が「冷たい娘」という濡れ衣を晴らそうとしなかったのはなぜなのだろうか。
ここではそのことを見てみたい。

まずリア王は、老いた自分が国王の座から降りることを一同に向かって宣言する。国土を三つに分けた。その領土のひとつを姉の婿であるアルバニー公爵、次女の婿のコーンウォール公爵、そうして末娘の夫となるはずのフランス王とバーガンディ公爵のいずれかに譲ることを明らかにする。それにつづくのがこのせりふである。
さあ、銘々言ってみるがよい。娘達、今や権力、領土、煩わしき政(まつりごと)の一切を、みずからかなぐり捨てようとしている私だが、お前達のうち、誰が一番この父の事を思うておるか、それが知りたい。最大の贈物はその者に与えられよう。情においても義においても、それこそ当然の権利と言うべきだ。ゴネリル、長女のお前から先に答えて貰おう。
(シェイクスピア『リア王』福田恆存訳 新潮文庫)

それに対して長女のゴネリルはこのように答える。
お父様、私がお父様をお慕いする気持は、とても言葉では尽せませぬ、物を見る喜び、無限の空間、その中を動き廻る自由、それもお父上には代えられない、どのような高貴な宝物も高が知れている、祝福、健康、美、そして名誉に溢れた生命そのものにも等しいお方、かつて子が捧げ、世の父が受けた限りの深い情愛を懐(いだ)き続けて参りました、貧しい息に託して言い表せるものではございませぬ。何に譬えて「これ程に」と申しましたところで、すべて私にはもどかしゅう覚えます。

このゴネリルの言葉につづいて、コーディーリアはこう独白する。
(傍白)コーディーリアは何と言ったらよいのか? ただ心に思うだけ、後は黙っていればよい。

ふたりの姉から自分を愛しているとの言葉をふんだんに受けとって気をよくした父王は、最愛の娘コーディーリアがいったい何と言ってくれるか、楽しみに待ち受ける。
コーディーリア 申し上げる事は何も。
リア 何も無い?
コーディーリア はい、何も。
リア 無から生ずる物は無だけだぞ、もう一度言ってみろ。
コーディーリア 不仕合わせな生まれつきなのでございましょう。私には心の内を口に出す事が出来ませぬ。確かに父君をお慕い申し上げております、それこそ、子としての私の務め、それだけの事にございます。
リア 何と、コーディーリア? もう少し言葉の端を繕うて言え、吾が身の仕合わせを毀したくないならばな。
コーディーリア お父様、お父様は私を生み、私を育て、私を慈しんで下さいました。その御恩返しは当然の事、私はお父様のお言附けを守り、お父様をお慕いし、お父様を心から敬っております。でも、お姉様方はなぜ夫をお持ちになったのでしょう、もしおっしゃる通りお父様お一人に心を捧げておいでなら? 私でしたら恐らく、一旦嫁ぎましたからには、誓いをその手に受けて下さる夫に、私の愛情はもとより心遣いや務めの半ばを割き与えずにはおられませぬ。ええ。私ならお姉様方のように結婚などしないでしょう、お父上一人にすべてを捧げたいと思うなら。

そこで王は腹を立てて、「貴様の真実を貴様の持参金にするがよい」と、娘を捨てるのである。

さて、ここでは「言葉」という観点からコーディリアの言葉を見てみることにしたい。

わたしたちはある種の言葉は、相手に向かって言った瞬間に、ちがうものに変質してしまったように感じた経験はないだろうか。
たとえば「信頼」という言葉。
ほんとうに相手を信頼しているのなら、そんなことは言う必要がない。ただ黙って信頼していればいい。それを「あなたを信頼してますからね」というのは、逆に信頼していないから、何か自分の希望に反することをするのではあるまいか、と危惧していて、釘を指すために言うのではないか。

あるいは森鴎外の「最後の一句」で、主人公のいちが言った「お上の事には間違いはございますまいから」という言葉が、なぜ周囲の役人たちの胸に「ただ氷のように冷ややかに、刃のように鋭い、いちの最後のことばの最後の一句が反響している」ように感じられたのか。ほんとうにいちがそう思っていたのなら、そんな言葉を言う必要はない。そうではなくて、「献身のうちに潜む反抗の鋒(ほこさき)」がその言葉をとって現れたのである。

同じように「愛している」という言葉、「大切に思う」という言葉も、本来なら、相手に告げる必要などない。黙ってその思いを胸に抱いていればいい。ところが、それを口にするというのは、それによって、「あなたを愛している自分」をアピールするためだったり、恩を着せたり、自分のもとにつなぎとめようとしたりしているからこそ、相手にそう告げるのではあるまいか。

コーディーリアの「ただ心に思うだけ、後は黙っていればよい。」というのは、おそらくそういう意味なのだろう。自分の胸の内にある思いに誠実であろうとしたからこそ、コーディーリアはあえて自分の思いを言葉にして明らかにすることを拒んだのである。

「言葉でなら何とでも言える」という言い方がある。ゴネリルやリーガンの言葉も、まさにそれを体現しているような言葉である。
彼女たちは、権力と領土とを得るために、「愛」という言葉を引き替えにしようとする。ちょうど自動販売機に硬貨を入れるように、最大級の賛辞を父親に送って、望むものを得ようとしている。ここでの言葉は、何ら「実」を伴わないものだ。

おそらくわたしたちはそのことを知っている。だから、「口先三寸」とか、「言葉でなら何でも言える」とか「所詮、言葉は言葉だ」という言い方で、自らを戒めているのだ。

だが、一方でわたしたちのコミュニケーションは、言葉のやりとりを基本に置くしかないから、ある場面においては、できるだけ自分の気持ちに近い言葉を選び、言い回しを考える。気持ちと言葉のあいだのどうしようもないずれに、ときに苛立ちながら、それでもなんとか気持ちと言葉の両方に誠実であろうとしている。

ここでもしコーディーリアが、父親の望む言葉を望み通りに告げるとすると、どうなるのだろう。それは単に自分の言葉を権力や領土と引き替えにすることによって、自分の気持ちを「ほかのもの」に変質させるだけではない。同時に自分がそれを言う父親をも貶めることになる。自分の愛に誠実であるために、そうして、父親に対する敬意から、コーディーリアはあえて「冷たい娘」という濡れ衣を進んで着たのである。

同様の行為は、芥川龍之介の「奉教人の死」にも見て取れる。傘張の娘が孕ったという濡れ衣を「ろおれんぞ」はかけられるのだが、それを晴らそうともせずに、「」に落とされる。それを晴らすことは、「ろおれんぞ」にとって、『でうす』の教えに背くことなのである。

彼、彼女たちは、簡単に濡れ衣を晴らすことができる。だが、彼らは晴らすことより自分の誠実な思いを貫く。そのことによって、その思いはより誠実なものとなり、強くその人物を支えることになる。だからこそ、彼らはまた濡れ衣を引き受けていくことができるのだろう。

では明日は濡れ衣をかけてしまう側を見てみよう。

(この項つづく)

4.なぜ濡れ衣を晴らさない?

2008-06-16 22:59:01 | 
4.なぜ濡れ衣を晴らさない?

志賀直哉版の『ハムレット』である『クローディアスの日記』で、ハムレットから王殺しの濡れ衣をかけられたクローディアスは、自分の心の内を問う内に、自分にほんとうに殺意がなかったのか、わからなくなってくる。殺意があったばかりではない、もしかしたら自分が殺したのかもしれない。自分の行動なのに、自分でもよくわからなくなってくる。
眼を開くと何時かランプは消えて闇の中で兄がうめいている。然しその時直ぐ魘されているのだなと心附いた。いやに凄い、首でも絞められるような声だ。自分も気味が悪くなった。自分は起してやろうと起きかえって夜着から半分体を出そうとした。その時どうしたのか不意に不思議な想像がふッと浮んだ。自分は驚いた。それは兄の夢の中でその咽を絞めているものは自分に相違ない、こういう想像であった。すると暗い中にまざまざと自分の恐ろしい形相が浮んで来た。自分には同時にその心持まで想い浮んだ。
(「クローディアスの日記」『清兵衛と瓢箪・網走まで』)

兄殺し、王殺しは用意ならぬ事態である。そういう行為をなしたかどうかがわからなくなるはずはないようにわたしたちには思える。だが、逮捕され、厳しい取り調べを受けたりでもしたら。隔離され、特別な心理状態におかれ、責められ続ければ、ふと、自分が実際にくだしたような気になることがあるかもしれない。

アガサ・クリスティのミステリ『杉の柩(ひつぎ)』となると、濡れ衣をかけられたある人物は、それを晴らそうとはしない。誰かを庇っているわけではないのだ。その人物は、ある瞬間に殺意を抱いた自分を許せず、そのために自ら罪を引き受けようとするのである。

この人物の行為は、わたしたちにはちょっと厳しすぎるように思える。
怒りのあまり、死んでしまえ、と思うことと、実際に手を下すことはまったくちがうことのように思えるからだ。だが、殺人事件などではない、もっと日常的な出来事ならばどうだろう。具体的に行為には出していなくても、たとえ胸の内で考えただけであっても、そのことで罪悪感を覚えたりすることはないだろうか。

濡れ衣、という。
けれども、そのことをかつて実際に思い浮かべた「わたし」は、まったくの濡れ衣と言えるのだろうか。

さらに、濡れ衣を晴らすことを拒んだ人物がいる。
誰が一番この父の事を思うておるか、それが知りたい。最大の贈物はその者に与えられよう。
(シェイクスピア『リア王』福田恆存訳 新潮文庫)

そう問われて、姉ふたりは美辞麗句を並べ立てるのにコーディーリアは「申し上げる事は何も」とにべもない。リア王は「その若さで、その冷たさとは」とすっかり誤解してしまう。

「冷たい娘」という濡れ衣をかけられたコーディーリアは、なぜそれを晴らそうとしないのか。

それに関しては、また明日。

3.濡れ衣を晴らすのは大変だ

2008-06-15 22:54:44 | 
3.濡れ衣を晴らすのは大変だ

スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』には、こんなエピソードが織り込まれている。
あるときクラス全員から徴収したミルクの代金七ドルがなくなった。担任の先生は、その犯人として12歳のクリスを三日間の停学処分にした。

「あのとき、おれは反省して、金を返そうとしたかもしれない」
 わたしは目を大きくみひらいてクリスをみつめた。「金を返そうとしたって?」
「かもしれない、と言っただろ。かもしれないって。シモンズばあさんのところに金を持っていって白状したかもしれない。金はそっくりあったかもしれないけど、どっちみち、三日間の停学はくらっただろう。だって、金は現われなかったんだから。そして、次の週、学校に来たシモンズばあさんは、新しいスカートをはいていたかもしれない」……

「だからさ、言ってみれば、おれはミルク代を盗ったけど、シモンズばあさんはおれから金を盗ったというわけさ。そんな話をしてみなよ。わたくし、クリス・チェンバーズ、フランク・チェンバーズおよび愛ボール・チェンバーズの弟がさ。信じるやつがいると思うか?」
「無理だね」わたしは小声で答えた。「なんてこった!」

 クリスは老けた、こわいような笑みをうかべた。「それにさ、金を盗ったのがザ・ビューに住んでいるような、いいとこの子だったら、あのくそばばあがそんなまねをしようという気になったと思うか?」
「いいや」
「そうなんだ。もしおれがいいとこの子だったら、シモンズばあさんはこう言うさ。“オーケー、いいでしょう、今回はこのことをおたがいに忘れましょう。でも、あなたの手首は一発、平手打ちをくいますよ。それに、もしこんなことがまたあったら、そのときは両方の手首に平手打ちをくらわせなければなりません” ってね。だけど、おれだったから……そうなんだ、彼女、ずっと前からあのスカートに目をつけてたんだろう。とにかく、彼女はチャンスをつかみ、ものにした。おれは金を返そうとしたばか者だった。けど、考えもしなかった……まさか教師ともあろう人が……やれやれ、気にしてるのはどっちだ? なんだってこんな話、してるんだ?」
(スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』山田順子訳 新潮文庫)

クリスはミルク代を盗んだ。まるで『ごんぎつね』のごんが、兵十の採っていたうなぎを逃がしてしまったのと同じように、その行為が、つぎの濡れ衣を着せられる根拠になった。

濡れ衣を着せられる人間には、その濡れ衣となった罪状を、周囲の人が納得するような、なんらかの理由がある。もちろんクリスやごんのように、当人の行動が濡れ衣のひきがねになるようなケースもあるだろう。

そんな濡れ衣に対して、したり顔で「李下に冠を正さず、瓜田に沓を納れず」ということわざを持ち出す人もいるかもしれない。そういうことをしているから、濡れ衣を着せられるのだ、と。

だが、それ以外にも、本人にはどうすることもできない場合がある。クリスの場合は貧困家庭に育ち、兄三人が名だたる不良だった。『オセロー』のデズデモーナの場合は、ムーア人(おそらくは黒人)であるオセローと結婚したことが、その濡れ衣を引き起こした根拠となった。あるいは、美しかったことが、根拠となったとも言える。

つまりはいわゆる平均とされるものより、多少上でも下でも、何か少しでも目に付くような特徴があった場合、濡れ衣をかけられる根拠となりうるのである。

濡れ衣をかけられた人には、その根拠を覆そうにも、覆すことはできない。「事実」として人びとに受け入れられてしまっているからである。そこで濡れ衣を晴らそうと思えば、それよりも説得力のある根拠を見つけださなければならない。

多くのミステリでは、濡れ衣をかけられた人物を救うのは、シャーロック・ホームズであるとか、エルキュール・ポワロとかの名探偵である。もちろん「逃亡者」のキンブル医師のように、逃亡しつつ、真犯人を捜そうとする人物もいるが、多くは警察も、周囲の人びとも、真犯人の濡れ衣工作をそのまま信用してしまうために、濡れ衣をかけられた人物は捕らえられてしまう。ポワロもホームズもいなかったエドモン・ダンテスは、長いあいだ獄中に囚われ、大変な思いをして脱獄しなければならなかった。

ここで押さえておくのは、
・濡れ衣を着せられる人物にはそれなりの理由がある。理由はかならずしも当人の責任ばかりではない。生まれや育ちということもあれば、逆に、ふだんなら美点である資質であることもある。
・いったん濡れ衣をきせられてしまったら、それを晴らすには、さらに周囲を納得させる別の理由を見つけなければならない。多くの場合、その働きをするのは、名探偵など、超越的な力を持つ人物である。

ということである。

ではつぎに、濡れ衣をかけられても晴らそうとしない人物を見ていこう。

(この項つづく)

2.濡れ衣は何のため?

2008-06-14 22:28:19 | 
2.濡れ衣は何のため?

濡れ衣というのは、字面を見ていると大変具体的な言葉なのだが、もともと文字通りの濡れた衣(ころも)、つまり濡れた服のことだったらしい。

「神話の森」というサイトの「濡衣塚」というページを見ると、その「語源」と思われる伝説があげてある。

筑前守佐野近世の娘である春姫は、継母に「漁師の浜衣を盗んだ」という罪をでっち上げられ、父親によって斬り殺される。霊が泣いて無実を訴えたことから、父親は自分のしでかしたことを悔いて、出家し、「濡れ衣塚」を作って弔った。

これが語源なのか、言葉から逆に生まれた伝説なのかはわたしにはよくわからないのだが、この伝説には、いわゆる「濡れ衣」の構造がよく現れている。

つまり、ある人物Aが、よこしまな意図のもと、Bに罪を着せる。Bは自分の無実を訴えるがCはそれを聞き入れず、Bを断罪する。やがてBの無実があきらかになり、Cは深く悔い改める、というのが、「濡れ衣」なのである。

この構造が端的に現れている作品というと、シェイクスピアの戯曲『オセロー』だろう。

イアーゴーは将軍であるオセロに使える旗手である。ところがオセローは副官に自分ではなくキャシオーを任命したことに腹を立て、キャシオーの地位を奪い、オセローに対しては恨みを晴らそうと考える。オセロの妻、デズデモーナとキャシオーの仲をオセローに讒言するのである。証拠まである。オセローがデズデモーナに与えたハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置いておくのである。

オセロー おれは見たのだ、やつがあのハンカチを手にしているのを。
 ええい、この嘘つきめが! おれの心を石にする気か。
 生贄を捧げるつもりでいるこのおれを。
 ただの人殺しにしようというのか。おれは見たのだ、
 あのハンカチを。

デズデモーナ それはあの人が拾ったのでしょう。
 私がさしあげたのではありません。ここに呼んで、
 ほんとうのことをお聞きください。

オセロー もう聞いた。

デズデモーナ なにをです?

オセロー おまえを思いどおりにしたと。

デズデモーナ え、不義を犯したとでも?

オセロー そうだ。

デズデモーナ そんなこと言うはずはありません。

オセロー もう口がきけぬからな。
 忠実なイアーゴーが万事片をつけてくれた。
(シェイクスピア『オセロー』小田嶋雄志訳 白水Uブックス)

こうしてデズデモーナはオセローの手にかかる。
だが、優しいデズデモーナは、やってきたエミリアに対して、これは自分でやったこと、と、オセローを庇うことすらするのである。

このタイプの物語では、『ごんぎつね』で栗や松茸を兵十の家に届けたところを、悪さに来たと濡れ衣をかけられ撃ち殺されたごんも、『フランダースの犬』で、風車小屋の放火犯の濡れ衣をかけられたネロも、そうしてこのデズデモーナも、濡れ衣をかけられても自分では晴らすことができず、結局は彼らは死に、死んだのちに彼らの潔白があきらかになるのだ。死に至らしめた人びとは深く後悔することになる。

こうした濡れ衣をかけられる人びと(ごんは狐だが、擬人化がなされているので、一応人間のカテゴリに入れておく)は、あくまでも潔白であるだけでなく、あまりに無垢で、純真であるために、自分を守ることすらできない。単に純真・無垢であるだけでなく、彼らに対する攻撃を誘発させかねない一種の脆弱性を持っているともいえる。ここでは「濡れ衣」は、彼らのそうした脆弱性をあらわにする働きを持っている、とまとめておこう。

明日は、ここまでおとなしくない、自分から濡れ衣を晴らそうとする人びとのことを見てみよう。

(この項つづく)

濡れ衣をかけられても

2008-06-13 22:59:23 | 
人によって悪夢には特有の傾向があるらしいのだが、わたしの場合、悪夢のひとつのパターンは、地面の中から手が出てきて、足をつかまれ、地中に引きずり込まれる、というもの。多くの人が階段から落ちる、とか、車にひかれるとか、それぞれにあるだろう。

そこまではいかないが、より穏やかな(?)悪夢として、試験の夢であるとか、お芝居で舞台に立ったところが、せりふがわからないといった「これは困った」という状況に陥る種類の夢もある。これまた人によって決まったパターンというのがあるのではないだろうか。

わたしの二進も三進もいかない、いわゆる「キャッチ22」的状況の夢というのは、濡れ衣を着せられて、誰かから責められるのである。まるで身に覚えがないことなので、弁明にこれ努める。ところがだれもそれに耳を傾けてくれないのだ。ああ、困った、どうしたらいいだろう、というところで目が覚める。過去、濡れ衣を着せられたような事態に遭遇したわけではない。だが、どこかで濡れ衣を着せられることを恐れているのだろうか。近ごろはまったくといっていいほど見なくなったが、十代のころは頻繁に、どうしてだれもわかってくれない、と思って、はっと目を覚まし、ああ、夢だった、良かった、と思って気が付くと、握りしめた手にいっぱい汗をかいていた、ということがよくあった。

確かに「濡れ衣」は恐ろしい。『フランダースの犬』や『ごんぎつね』がかわいそうなのも、罪のないネロやごんが濡れ衣を着せられ、晴らすこともなく死んでいくところにあるのだろうし、『オセロ』では、デズデモーナはイアーゴーの悪意によって不実の濡れ衣を着せられ、まるで自分から進んで罠のなかに落ちていくようだ。一方、ミステリでは濡れ衣をかけられた主人公が、なんとかそれを晴らそうとする、という筋立ては定番中の定番だ。映画にもなった「逃亡者」では、妻殺しの濡れ衣を着せられたリチャード・キンブルは、警察から逃れながら、同時に自分の無実を晴らそうと、アメリカ中を移動する。
ここでは読者や視聴者は、濡れ衣を晴らそうとする主人公の側に立ち、最後に満天下に無実が証明されたところで一種のカタルシスを得る。

だが、濡れ衣をかけられても、それを晴らそうとしない人びともいる。『リア王』では、自分を愛しているという表明を聞きたい父の求めに応じないばかりに、冷酷な娘であるという濡れ衣を着せられても、決して自分の節を曲げようとはしないし、芥川龍之介の『奉教人の死』では、ありうるはずのない濡れ衣を、ろおれんぞは自ら進んで着る。

濡れ衣というのはいったいどういうものなんだろう。
濡れ衣をかけられるのが恐ろしいのはいったいどうしてなのだろう。
それでも濡れ衣を晴らそうとしないのは、いったいどういう心理なのだろう。

ここでは法律的な冤罪とはいったん分けたところで、小説に描かれた「濡れ衣」を読みながら、「濡れ衣」について考えてみたい。
良かったらこれから数日間おつきあいください。

レメディオス・バロを見たときの話

2008-06-12 22:38:21 | weblog
レメディオス・バロといえばピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』の口絵の「大地のマントを織りつむぐ」で知った画家である。

この絵はピンチョンのストーリーとも密接に関連していたので、何度も何度も口絵に戻って絵を眺めた。だいたい絵のなかに物語を描いていくタイプの画家は、見ているとうるさくなってくるので苦手なのだが、理知的で抑制されたバロの筆致はやかましさとは無縁で、暗い夜にたなびく霧を描いていく筆遣いを追っていると時間を忘れた。

ところが図書館で探しても画集などなく、ずっとバロの作品といえば、これひとつしか知らなかった。それから何年もたってから、ひょんなところで「フリーダ・カーロとその時代」という展覧会のなかでバロもいくつか展示されている、という話を聞いて、あわてて見に行った。

点数の多いフリーダ・カーロはゆっくり見ていたら疲れきってしまいそうだったのでさっさと飛ばして、行ったり来たりしながらあるだけの絵を見た。

スペインに生まれ、フランスで過ごし、のちにメキシコに亡命した、という経歴は、どう考えても太陽がついてまわりそうだったが、バロの絵には太陽はどこにもないのだった。光があっても、それは北欧かどこかの、霧を通して薄日を見るような。乳白色の、独特な不透明感を持つ色と、ほとんど質感を感じさせない細い細い線を描いていく筆さばきと、理屈と幻想があやういバランスを取っているさまざまなものたち。どれもそっくりの神経過敏な手をもつ登場人物。

ちょうどフリーダ・カーロの絵に出てくる登場人物が、男も女も何をしていてもフリーダ・カーロの自画像であるように、この極端に繊細で、神経過敏で、ほとんど体温も体重も感じさせない女性はバロ自身なのだろうか、と思ったのだった。

会場の順路でいくと、最後にあたるところに、カティ・オルナという写真家の展示があった。人形や石段を撮ったいかにもシュルレアリスムという写真に混じって、第二次大戦中メキシコに亡命したシュルレアリストたちのポートレイトが展示してあった。そのなかに、向こうむきに腰かけたバロが、絵筆と絵の具のチューブを持ったまま、こちらを振り向いている(だが視線はカメラよりだいぶ高い、遠くの方を見ている)。そのバロは、モノクロ写真ではあってもおそらく金髪で、色が白く、大きな目をしていて、自分の作品に出てくる女性にある部分は似ていた。だが、絵の登場人物がどれもきゃしゃで繊細で、お伽噺の登場人物の雰囲気をかもしだしているのに、現実のバロは力強く意志的で、腰のあたりもがっしりとしているのだった。

考えてみればその通りなのである。あれだけ細かい筆遣いをするためには、どう考えてもかなりな握力が必要だし、一枚の絵を描いている期間、その力を維持し続けなければならないのだ。肩から二の腕にかけての力強さは、まさしく画家のそれなのだった。

だが、バロの絵の特徴ともいえるような神経過敏な手は、やはり本人のものだった。絵に描かれているのよりずっと手首は太くて、そこから細いけれど強靱で長い指へと続いていたが、それでもそこにあるのは、絵とそっくりな手なのだった。やはりあれは一種の自画像なのだろうか。自分のことをそこまで華奢にイメージしていたのだろうか。こんなに強い人が、風が吹けば折れそうな女性として自分をとらえていたのだろうか。

そのギャップがなぜか愉快で、不意にバロという人をひどく身近に感じられるような気がして、わたしはすっかり楽しくなってしまったのだった。


暗闇の光

2008-06-11 22:49:12 | weblog
小さい頃、映画といえば父に連れて行ってもらうか、母に連れて行ってもらうかだった。わたしが小さい頃は、弟が赤ん坊だったりして、なかなか一家揃って映画に行くということにならなかったのかもしれない。ともかく、母と行くときはディズニー映画ばかりで、父と行って見たのは「ベン・ハー」とか「クレオパトラ」とか、名作のリバイバル上映が多かった。要は父は自分が見たい映画を観ていた、ということである。

だが、わたしは映画には父と行く方が圧倒的に好きだった。母という人はいまだにそうなのだが、自分の行動を、決められた時間から逆算して、出発の時間を決めたり、準備の段取りをつけていくということができないのである(本人にいくら指摘しても絶対にそのことを認めないから、その癖は決して改まらない)。用事のときでさえそうなのだから、まして映画など、開演時間という発想すらない。どうするかというと、適当なところで入り、そこから最後まで見て、また最初に戻り、自分が入ったところまで見て、そこで映画館を出るというすさまじい見方をさせられるのである。わたしはもう物心ついたくらいから、これがいやでいやで、自分が大人になったら決してこんな見方はしないぞ、といつも思ったものだった。大人になるだいぶ前からひとりで映画を見に行くようになったわたしは、未だに開演時間には自分でもいやになるくらい神経質である。

初めて見たのが何の映画だったかは覚えてはいないのだが、これはおそらく最初期の記憶だろう。クッションの貼ってある重い扉を開けたら、いきなり大きなスクリーンいっぱいに、鮮やかな色で目を奪われた。妙な帽子をかぶった外国人の男と、傘を持ちドレスを着たこれまた外国人の女が、地面に置かれた絵にぴょんと飛び乗った、と思うと、そこにはアニメーションのピンクのウサギやイエロー・オーカーのバンビが出てくる。いま思えば「メアリー・ポピンズ」にちがいないのだが、この絵に飛び込むという場面にいきなり度肝を抜かれたわたしは、「メアリー・ポピンズ」というと、ずっと、絵に飛び込む映画として記憶していたのだった。「101匹わんちゃん」は、さらわれた99匹の子犬の行方を捜す犬たちが、遠吠えで情報を伝え合う。暗い空を背景に、沈んだ色調で、犬の遠吠えが遠くこだましていくシーンから見始めたために、「101匹わんちゃん」は何とも暗い、もの悲しい映画として、わたしの頭には刻まれているのだった。

父親と行くと、そういうのとは全然ちがう。ちゃんと明るいうちに場内に入って、うまく坐らないと自分の体がVの字になってしまうような椅子に気をつけながら腰をおろし(記憶のなかの自分の足は、膝で降り曲がっておらず、レースの三つ折りソックスとバックルのついた黒い靴が座席の先でぶらぶらしている)、館内に流れる音楽にうっとりと耳を傾ける。やがて場内が暗くなって、コマーシャルをいくつか見たあとに、予告編があって、それから本編が始まるのだ。字幕だったはずなのに、字幕が読めなくて困った記憶もない。字幕そのものを読まずに、画面だけ見ていたのだろうか。それでもクレオパトラが自殺するときにコブラのかごにつっこむのを選んだことを覚えているのは、のちにどこかで見たからなのだろうか。

幼稚園には年に一度ほど、映画鑑賞会があったような気がする。だがそこではいったい何を見たのかまったく記憶にない。イエズス様のスライドや、シュバイツァーのスライドを見たことは覚えているのに、暗幕を張ったおゆうぎ室に集まって床に腰を下ろして、スクリーンを見上げたそこにいったい何が映っていたのか、その記憶はないのである。

小学校に入ると、毎年ではなかったが、何度か学校から映画館に出向いていった。一年のときに見たアニメーションは、最初が退屈で眠ってしまい、結局筋がわからず、学校に帰って感想文を書かされたときはたいそう困ったものだった。

高学年になって、なぜか学校からトリュフォーの「野生の少年」を見に行ったこともある。もちろん大人になるまで、監督も、映画のタイトルさえも知らなかったのだが、思い返すたびに、あれは芸術映画だったにちがいない、と思ったものだった。やがて何かの拍子にそれがトリュフォーの作品だとわかって、いったいなぜそんな映画に連れて行ったのだろうと思ったものだ。

みんなでぞろぞろと歩いていき、オオカミに育てられた少年の物語、と聞いてはいたのだが、あまりに芸術的すぎて、つまりは小学生が見るには、あまりに筋が曖昧なのだった。
帰りがけにみんなで、もっと言葉がしゃべれるようになるかと思ったね~、などと言いながら、いったいどういう映画だったのだろう、と、首をひねりながら帰っていった。だが、緑はこれまでみたどんな緑より美しく、日本でうっそうとした森というのは暗いものだが、フランスはあんなに美しいのだろうかと思ったものだ。あのときスクリーンで見た緑だけは、いまだに網膜の奥に残っているような気さえする。

不思議な幼児、幼児の不思議

2008-06-10 22:25:37 | weblog
先日、おもしろい話を聞いた。
知り合いが妊娠したのだが、最初にそのことに気がついたのは当人ではなく、そこの家の二歳になる子だったという。
「ママのお腹のなかに赤ちゃんがいるよ~」というのでびっくりして、あわてて調べたところその通りだったのだそうだ。やがてそのお腹のなかの「赤ちゃん」に、家族でニックネームをつけて毎日話しかけていたらしい。

ところが結局その「赤ちゃん」は育たなくて、三ヶ月になる前に流産してしまった。お母さんの方は、その子に何と話そうか胸を痛めたところ、その子が母親のお腹をなでながら言ったのだそうだ。
「××ちゃんいなくなっちゃったねー。でも、大丈夫。ママのお腹のなかにはあと30人ぐらい××ちゃんがいるから」。
それを聞いたその人は、ぎょっとして、恐ろしくすらなったという。

ただ、みんながみんなそうかどうかはわからないけれど、そういうこともあるかもしれない、という気はする。

双子の子供がいる知り合いもいるのだが、いまはもうすっかり大きくなったその子たちが小学生だったころ、そこの家に行くたびに驚いたものだった。学校から帰ったふたりが
「ママ、今日ね、学校でね、こういうことがあったんだよ」と声をそろえてしゃべるのである。完全なユニゾンで、よく似たふたりの声が、まるで斉唱のようにひとつに重なって、べらべらと話していくのである。
親の方はいつものことで、不思議にも思っていないようだったが、初めてのときはひどくびっくりした。なんでそんな話し方ができるの? と聞いたら、ふたりは顔を見合わせて(それも同時に)、さあ? と言って、お互いの顔を見て笑い合うのだった。

その子たちは片方が病気で学校を休んだようなときでも、「あ、○○がもうじき帰ってくる」とわかるらしかった。親の方は、まだ帰ってくる時間じゃないよ、と言ったところに、学級閉鎖になった、ともうひとりが帰って来たようなこともあったことを聞いた。
「双子っておもしろいよ」と彼女たちの母親はよく教えてくれた。けれども、その子たちの「不思議」も、大きくなるにつれてなくなっていったそうだ。

ふだんあまり気がつかないけれど、わたしたちは言葉にはうまくのらないさまざまな感覚を持っている。だが、その「感じ」は、言葉にはつなぎとめられないために、他人とも共有しにくいし、自分の内でもなかなかつなぎとめておけるものではない。不意に現れては消える、また呼びだそうとしてもむずかしいようなあやふやな「感じ」である。そういう感覚に意識を向けなければ、感じていることすら気がつかないかもしれない。とくに仕事などで忙しかったりすると、そんなものを感じている暇もないのかもしれない。

だが、まだ言葉そのものを十分に使いこなせない子供たちのなかでは、「言葉」と同じくらいその感覚は重きを置かれているのではないか。非言語的な豊かさのなかに、まだ子供たちはいる、と言ってもいいかもしれない。

お腹のなかにいた記憶のある子もいる。
「お母さんのお腹のなかで、くらいど~、て言うてた」という話を聞いたこともあるし、お風呂に入っているときに、ひょいと「まえ○○ちゃん(※自分のこと)が入ってたおふろは暗かったよね~」と言った子の話を聞いたこともある。どうしたか、その頃の記憶がひょいと戻ってくるらしい。
絵本や児童文学の作家である高楼方子は、二歳になったばかりの頃にドブに落ちた経験をこのように語っている。
 ははあ、落ちたのだな、と思ったすぐあとに頭をよぎったのは、あ、死ぬのだな、でもこれでいいのだ、という思いだった。もともと私は、こことそっくりの所にいたのだもの、あの明るい所に私がいたのは間違いで、本当はこういう所にいるはずなのだ、だからこれでいいのだ、と思ったのだ。そして、ところで、「こういう所」とは、はていったいどこだったろう……と懸命に考えているその途中に、ぱっと光が差して私は救出され、謎は、宙ぶらりんのまま、いつまでも心にのこったのだ。

「こういう所」とは、おなかの中にいた時のことに違いない、とずいぶんあとになって気づいた。二年前くらいのことなら、誰しもが、つい最近のこととして記憶している、ということは、二歳の人間が、二年前のことをからだのどこかに記憶していたとしても、それほど意外なことではないのではないか。
 死ぬのだな、と思いながら、かすかな恐怖さえ感じなかったのも、もといた所に戻れるという安心感があったせいだと思う。もしかするとこれは、さまざまな事態で命を落とさざるを得ない、小さな子どもたちへの自然の配慮なのかもしれない。幼ければ幼いほど、胎児時代の記憶は近く、その分だけ、死に至る独りぼっちの暗闇も、恐怖から遠い、安らかな場所になりかわり、子どもを包むのではないだろうか。
(高楼方子『記憶の小瓶』クレヨンハウス)

自分が生まれてきたところと、死んでいくところを一緒と言ってよいのかどうかは、わたしにはなんとも言えないし、まして子供がそのことを「知って」いるとはわたしにはよくわからない。「もといた所に戻れるという安心感」というのは、二歳の子どもがそう考えた、というより、その「感じ」を、のちの「私」が何とか言葉にあてはめようとした、やはり一種の創作であるように思うのだ。それでも、「本当はこういう所にいるはずなのだ」と二歳の子供が思ったのは、確かにそのとおりだろうと思う。

わたしは小さい頃から机の下に入り込んで、本を読むのが好きだった。そんな暗いところで本を読んでいると目が悪くなる、と何度言われても、小さい薄暗い空間に体を丸めて入り込んでいると落ち着くのだった。その「落ち着く」という感じこそ、わたしの身体が覚えている胎児のときの記憶だったにちがいない。

汚いはきれい、きれいは汚い

2008-06-09 23:03:18 | weblog
先日、こんなニュースを見た。

英消費者雑誌がロンドン市内の一般的なオフィスにあるコンピューターのキーボードとトイレの便座、トイレのドアの取っ手についての調査を専門家に依頼したところ、驚くような結果が明らかになった。

 調査を行った微生物学者は、対象となった33枚のキーボードのうち4つは健康被害を及ぼす可能性があり、その中の1つはふき掃除した便座の5倍不潔なレベルのバクテリアが確認されたとして、オフィスからの撤去を推奨した。

 同調査を依頼した「Which? Computing」誌のサラ・キドナー編集長は、「ほとんどの人たちは自分のパソコンに付いた汚れについてさほど気にしていないが、もし掃除していないとすれば、ランチをトイレで食べているのと同じようなものだ」とコメントした。


一応わたしはウェットティッシュや綿棒を使ってキーボードは掃除をしていますが……。

ただ、このニュースを見て改めて思うのは、わたしたちの「きれいか、汚いか」の判断は、バクテリアの量に基づいてなされるのではない、ということである。
たとえこのニュースを見たとしても、自分の使っているパソコンのキーボードと、公衆トイレのドアのどちらが「汚いか」というわたしたちの意識は、おそらくきっと変わらないはずだ。

たまに図書館の本は読みたくないという人がいる。「誰がさわったかわからないのに、気持ち悪くない?」と実際にそう聞かれたこともある。
電車のつり革はさわらない、という人の話は、もっと頻繁に聞く。お金をさわったら手を洗う、というのは、少しちがう性格の話のような気もするが。

ともかく、そういう人の話を聞くたびに、自分の手をそこまできれいだと確信できる根拠はいったいどこにあるのだろう、とちょっと不思議になってしまう。

トイレに行くと、ときどき扉が閉まったばかりの個室の中から、カラカラカラカラとものすごい量のトイレットペーパーを巻き取る音がする。おそらくそれは便座を拭くためだ。できるだけ便座から距離を取るために、紙を分厚く重ねてそこを拭く。
けれど、家ではそういうことはしないだろう。家の便座は「汚くない」から。

ジョーゼフ・ヘラーに『キャッチ=22』という戦争小説がある。この小説では主人公のヨッサリアンが戦闘機に乗っているときに爆撃を受ける。同乗していた砲手の少年であるスノードンはひどいケガをする。「スノードンの体は床まで切り裂かれてずぶ濡れの山となっており、あとからあとから血が流れていた」。剥きだしになった内臓の山を目の当たりにして、ヨッサリアンは考える。

彼の内臓のメッセージを読みとるのはたやすいことだった。人間は物質だ――それがスノードンの秘密だった。窓から放り出してみろ、人間は落ちる。火をつけてみろ、人間は焼ける。土に埋めてみろ、人間は腐る――他のあらゆる台所屑と同じように。精神が消えてなくなってしまえば、人間は台所屑だ。
(ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』飛田茂雄訳 ハヤカワ文庫)

たとえば人の戻したものを始末した経験がある人なら、だれもが、自分の胃袋のなかにも同じものが入っているのか、と、何とも言えない気分になったことがあるはずだ。
トイレに行く。排泄する。たったいままで、「それ」は自分の体内にあったものだ。
「人間は台所屑」でできているのだ。

たとえ自分のものでも排泄物は汚いし、吐瀉物は汚い、と思う。まして人のものになればなおさらだ。
それは、わたしたちの意識が、そういうものを「汚い」として、「見えないもの」に押し込めようとしているからではないのか。わたしたちの「体」を意識させるものを忘れるために。

手を洗う。体を洗う。髪を洗う。また手を洗う。さらに洗う。何度も洗う。
そうやって、自分の身体から「汚いもの」をどんどん排除していき、自分から遠くに押しやっていく。
けれど、それは変わらず「そこ」にあるのだ。わたしたちの体は「台所屑」でできているのだから。

パソコンのキーボードについたバクテリアはどこから来たのか。風で飛んできたわけではないだろう。
そうやって「汚いもの」をどこまで排除したとしても、思いもかけない形で回帰してくるはずだ。



更新情報書きました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

サイト更新しました

2008-06-08 22:51:12 | weblog
以前ブログで書いたつなぎの記事をもとに、「転がる石としてのあたしらの人生」を「この話したっけ」のひとつとしてアップしました。

その昔、青山南のエッセイで『赤んぼとしてのあたしらの人生』(ユック舎)という本を読んで、おもしろいタイトルだなあと思っていました。ふたりのお嬢さんが徐々に大きくなる毎日が、絵本の紹介にからめながら記されていて、当時はまだなかったんですが、雰囲気としてはちょっとブログのような本でした。

いつかそれを使ってやろうと思いつつ、ここで使ってみたんです。
え? どんなことが書いてあるかって?
それは読んでからのお楽しみ、って、もう一度こっちでアップしちゃってるんですが、細かいところはいろいろ書き換えてあるので。

またお暇なときにでも。
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