陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その2.

2008-06-28 22:44:07 | 翻訳
その2.

 ある朝、わたしが大きなベッドにもぐりこむと、そこには例のサンタクロースもどきの父がいた。だが、しばらくすると、軍服の代わりに一番上等の青いスーツを着たのである。母はことのほかうれしそうだったが、わたしには喜ぶような理由など見当たらなかった。というのも、軍服を脱いだ父には、ちっともおもしろいところがなかったからだ。ところが母ときたら、満面に笑みを浮かべて、わたしたちのお祈りがかなったのよ、と言い、あとでミサに出かけ、わたしたちは父が無事戻ったことに対する感謝の祈りを捧げたのだった。

 なんとも皮肉な成り行きだった! その日、父は昼食に戻ってくると、ブーツを脱いでスリッパに履きかえ、風邪を引かないように古い薄汚れた室内帽をかぶって、脚を組むと母に向かってもったいぶってしゃべりはじめた。母は気遣わしげな顔をしている。言うまでもないことだが、わたしは母の気遣わしげな表情が嫌いだった。きれいな顔が台無しになってしまうからだ。だからわたしは間に割って入ることにした。

「いまはおよしなさい、ラリー」母は優しくたしなめた。母がこの言い方をするのは、退屈なお客が来たときだけだったから、わたしは気にもとめずに話を続けた。
「静かになさい、ラリー」いらだたしげな声が返ってきた。「お父さんとお話してるのがわからない?」

このとき初めて、「お父さんとお話ししてる」という不吉なことばを聞いたのだった。これがお祈りをかなえてくださったということなら、神様はみんなのお祈りなんて、あまり真剣に聞いてくださってないのかもしれない、と思わずにはいられなかった。

「なんでお父さんとお話してるの?」できるだけどうでもよさそうな調子でわたしは聞いてみた。
「お父さんとお母さんにはお話しなきゃならないことがあるからよ。だから、もうじゃまをしてはいけません」

 その日の午後、母にたのまれて、父はわたしを散歩に連れて行った。このときは郊外ではなく町に向かったのだが、わたしも最初のうちは、いつもの楽天的なところを発揮して、事態は好転の兆しを見せているのだ、と思うことにしていた。ところが、まったくそうではなかったのである。

 父とわたしでは、町を散歩する、という定義自体がまるっきり異なっていたのだった。父ときたら、貨車にも船にも馬にもろくに興味を示さず、楽しそうな顔になるのは、同じような年寄り連中と話をするときだけ。わたしが止まろうとしても、いっこうに歩をゆるめず、手を握ったまま引きずっていく。反対に、彼が止まりたくなってしまうと、わたしがそれにあらがうすべはないのだった。壁によりかかるのが、そこに長時間とどまるサインであることにわたしは気がついた。父がふたたびそのサインを見せたときには、わたしもすっかり腹を立ててしまった。半永久的にそこに落ち着こうとしているように思えたからだ。わたしはコートやズボンを引っ張ったが、母とはちがった。もし母ならあまりしつこくすると怒り出してこんなふうに言うのだ。「ラリー、お行儀よくできないんなら、ぱちんとしますよ」

ところが父の才能ときたら驚くばかりで、いやな顔ひとつ見せず、ただ無視するのである。引っ張るのをやめて、泣いてみようかと思ったが、そんなことを気にして困るような相手ではない。実際、大きな山を散歩に連れていったようなものだった! つねろうがこぶしで殴りかかろうが、素知らぬ顔で、ときどき山のてっぺんからにやにやしながらおもしろがっているだけなのだから。わたしはそれまで彼のように自分のことばかりにかまけている人間を見たことがなかった。

 夕食の時間になると「お父さんとお話」がまた始まったが、今度は父は夕刊を読みながら、数分おきに新聞を置いて母に新しいニュースを聞かせていたので、事態は複雑になった。このやりかたは汚いぞ、とわたしは思った。母の注意を引くために、一対一でならいつでも父と戦う用意はあったが、父は他人の助けをかりて不足を補っているのだから、もはやわたしにはチャンスはなかった。それでも何度かわたしは話題を変えようとしたが、どうやっても成功しなかった。
「お父さんが新聞を読んでるんだから、静かにしなきゃダメよ、ラリー」母は不機嫌に言うのだった。

 母は父と話す方がわたしと話すのより好きなのか、あるいは父が何かしら恐ろしい力で母を捕らえてしまい、そのために真実を認められなくなってしまったのか。そのいずれかであることはまちがいなかった。

「ママ」その夜、母がわたしを毛布でくるんでくれたときに聞いてみた。「もしぼくが神様にいっしょうけんめいお祈りしたら、お父さんは戦争に戻る?」

 母はしばらく考えこんだようだった。
「いいえ」そう言ってにっこり笑った。「神様はそんなことはなさらないと思うわ」

「ママ、どうして?」
「それはね、もう戦争は終わったからよ」
「だけど、ママ、神様は別の戦争を始めることができるでしょ、もしそうなさろうと思ったら」
「そういうことはなさらないわ。戦争を始めるのは、神様じゃなくて、悪い人なのよ」
「そうなのかぁ」すっかり落胆してしまった。神様というのは、評判ほどのものでもないのだな、と思うようになっていた。



(この項つづく)