陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

3.濡れ衣を晴らすのは大変だ

2008-06-15 22:54:44 | 
3.濡れ衣を晴らすのは大変だ

スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』には、こんなエピソードが織り込まれている。
あるときクラス全員から徴収したミルクの代金七ドルがなくなった。担任の先生は、その犯人として12歳のクリスを三日間の停学処分にした。

「あのとき、おれは反省して、金を返そうとしたかもしれない」
 わたしは目を大きくみひらいてクリスをみつめた。「金を返そうとしたって?」
「かもしれない、と言っただろ。かもしれないって。シモンズばあさんのところに金を持っていって白状したかもしれない。金はそっくりあったかもしれないけど、どっちみち、三日間の停学はくらっただろう。だって、金は現われなかったんだから。そして、次の週、学校に来たシモンズばあさんは、新しいスカートをはいていたかもしれない」……

「だからさ、言ってみれば、おれはミルク代を盗ったけど、シモンズばあさんはおれから金を盗ったというわけさ。そんな話をしてみなよ。わたくし、クリス・チェンバーズ、フランク・チェンバーズおよび愛ボール・チェンバーズの弟がさ。信じるやつがいると思うか?」
「無理だね」わたしは小声で答えた。「なんてこった!」

 クリスは老けた、こわいような笑みをうかべた。「それにさ、金を盗ったのがザ・ビューに住んでいるような、いいとこの子だったら、あのくそばばあがそんなまねをしようという気になったと思うか?」
「いいや」
「そうなんだ。もしおれがいいとこの子だったら、シモンズばあさんはこう言うさ。“オーケー、いいでしょう、今回はこのことをおたがいに忘れましょう。でも、あなたの手首は一発、平手打ちをくいますよ。それに、もしこんなことがまたあったら、そのときは両方の手首に平手打ちをくらわせなければなりません” ってね。だけど、おれだったから……そうなんだ、彼女、ずっと前からあのスカートに目をつけてたんだろう。とにかく、彼女はチャンスをつかみ、ものにした。おれは金を返そうとしたばか者だった。けど、考えもしなかった……まさか教師ともあろう人が……やれやれ、気にしてるのはどっちだ? なんだってこんな話、してるんだ?」
(スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』山田順子訳 新潮文庫)

クリスはミルク代を盗んだ。まるで『ごんぎつね』のごんが、兵十の採っていたうなぎを逃がしてしまったのと同じように、その行為が、つぎの濡れ衣を着せられる根拠になった。

濡れ衣を着せられる人間には、その濡れ衣となった罪状を、周囲の人が納得するような、なんらかの理由がある。もちろんクリスやごんのように、当人の行動が濡れ衣のひきがねになるようなケースもあるだろう。

そんな濡れ衣に対して、したり顔で「李下に冠を正さず、瓜田に沓を納れず」ということわざを持ち出す人もいるかもしれない。そういうことをしているから、濡れ衣を着せられるのだ、と。

だが、それ以外にも、本人にはどうすることもできない場合がある。クリスの場合は貧困家庭に育ち、兄三人が名だたる不良だった。『オセロー』のデズデモーナの場合は、ムーア人(おそらくは黒人)であるオセローと結婚したことが、その濡れ衣を引き起こした根拠となった。あるいは、美しかったことが、根拠となったとも言える。

つまりはいわゆる平均とされるものより、多少上でも下でも、何か少しでも目に付くような特徴があった場合、濡れ衣をかけられる根拠となりうるのである。

濡れ衣をかけられた人には、その根拠を覆そうにも、覆すことはできない。「事実」として人びとに受け入れられてしまっているからである。そこで濡れ衣を晴らそうと思えば、それよりも説得力のある根拠を見つけださなければならない。

多くのミステリでは、濡れ衣をかけられた人物を救うのは、シャーロック・ホームズであるとか、エルキュール・ポワロとかの名探偵である。もちろん「逃亡者」のキンブル医師のように、逃亡しつつ、真犯人を捜そうとする人物もいるが、多くは警察も、周囲の人びとも、真犯人の濡れ衣工作をそのまま信用してしまうために、濡れ衣をかけられた人物は捕らえられてしまう。ポワロもホームズもいなかったエドモン・ダンテスは、長いあいだ獄中に囚われ、大変な思いをして脱獄しなければならなかった。

ここで押さえておくのは、
・濡れ衣を着せられる人物にはそれなりの理由がある。理由はかならずしも当人の責任ばかりではない。生まれや育ちということもあれば、逆に、ふだんなら美点である資質であることもある。
・いったん濡れ衣をきせられてしまったら、それを晴らすには、さらに周囲を納得させる別の理由を見つけなければならない。多くの場合、その働きをするのは、名探偵など、超越的な力を持つ人物である。

ということである。

ではつぎに、濡れ衣をかけられても晴らそうとしない人物を見ていこう。

(この項つづく)