ときに、話が妙に合う人がいる。
同じ本や映画について話をしてみると、自分の感じ方そのまま相手の口から出てくるような気がする。話の勘所がぴたりぴたりと一致するので、細かなところの説明も必要がないために話が早い。いきおい、話題は留まるところを知らず、どこまででも広がっていく。会ってどれほどもたってないのに、昔からよく知っている人のようだ。言葉を超えて、分かり合えるように思える。
そういうとき、わたしたちは「運命的な出会い」を感じたくなるのだが、おそらくそれは運命というより、ふたりの持っている言葉の意味が近いということなのではないかと思うのだ。
言葉の意味というのは、人によって、実は微妙にちがうものである。
イヌが好きでたまらない人と、イヌに噛まれたことのある人と、小さいころ、ほえつかれて怖かった人と、氷をぶつけたことのある人(これはわたしです)と、イヌを見たことのない人では「イヌ」といった言葉を耳にしたとき、あるいは目にしたとき、その言葉が結ぶ意味はかなりちがう。イヌよりももっと抽象度の高い、たとえば「平和」とか「戦争」とか「政治」とか「愛」とか「欲望」とか「権力」とか、まあいくらでも続けることができるけれど、そういう言葉はますます意味が人によってちがっているはずだ。
話がかみ合わない、何か、この人の言っていることはちょっとちがう、と感じるのは、おそらくふたりが使っている言葉の意味がずれているせいだ。
さらに、昔はあんなに話がはずんだのに、ひさしぶりに会ったら、何か話がはずまなかった、ふたりとも変わってしまったんだ……というときは、おそらく時の経過や経験によって、お互いの言葉の意味がずれてきたためだろう。
ほかの人間ばかりではない。同じ自分でも、日によって、気分によって、微妙に意味は揺らいでいく。あるいは、過去の日記にたまらない恥ずかしさを覚えたりするのは、なによりも、当時の自分が意味づけていた、その内容の未熟さが恥ずかしいのだ。
もちろん話がかみ合わなかった理由は、相手の歯に青のりがついていたせいかもしれないのだが、もしかしたら、ふたりで使う同じ言葉の意味が、それぞれにかなりちがっていたためなのかもしれない。
わたしたちは多くのとき、話をしていても言葉そのものではなく、それを使って何ができるか、ということにしか意識が向かない。コミュニケーションの手段であり、媒体であり、透明なツールであるように思ってしまう。
あるいは、話が合わないのは、相手の言うことがおもしろくないからだ、あるいは、相手の考え方があまり好きではないから、さらには相手そのものがきらいだからだ、というふうに。
だが、たまにそのずれに気がついたようなとき、たとえばわたしが「性質の偏り、傾向」という意味で「性癖」という言葉を使っていると、相手が怪訝な顔をする。こういうとき、わたしたちはハッと言葉の方に意識が向かう。
ほかにも、言葉そのものに意識が向かうときがある。それはこんなとき。
わたしはいまだにこれが言える。記憶のままに書いてみて検索したら、一字一句まちがっていなかった。
わたしはこの「ジャバウォッキー」の詩を岩波版の生野訳で読んだためにこうなっているのだが、訳者によってかなりちがうようだ(原詩に関してはwikipedia ジャバウォックの詩)。
小さい頃、この詩が楽しくて、何度も何度も繰りかえし口にしていて、いまだに覚えている。言葉遊びに意味を求めてもしかたがない。だから、忙しい大人は「ジャバウォッキー」を見ても、だからどうした、と思うのかもしれない。
さて、二葉亭四迷である。
まず二葉亭四迷が明治二十一年に訳した「あひびき」の冒頭をここにあげてみよう。
初版が1962年の河出書房世界文学全集に所収されている「あいびき」ではこうなっている。
確かに下の池田訳と比較すると、二葉亭四迷の日本語はひっかかる。下の文章が言葉をすっと通り抜け、意味の世界に入っていけるのに対し、上のそれでは、言葉を否応なく意識させられてしまう。
ところが、音読してみるとわかるのだが、独特のリズムがある。このリズムに関しては、二葉亭四迷自身がこのように言っている。
ロシア語がわからないので、これでもほんとうにそんな芸当をやっているのか確かめることはできないのだが、二葉亭四迷のことだから、おそらく意味以上に形をそのまま移すように努めているのだろう。
どれだけの言葉を集めて、意味と形にかなうその「一語」を選んだのだろう。
文学史の本を開けば、どれにもかならず「言文一致体の創始者」として二葉亭四迷の名前はあげられる。
言葉はもちろん一人の人間の力によって成立するものではない。二葉亭が採用したのは、「圓朝の落語」の話体だった。
それでもここに、わたしは生まれたばかりのみどりごのような言葉を見るのだ。
わたしがこの『あひびき』のなかにも出てくるのと同じ言葉を使うことができる。それに自分の空の見方を、葉をそよがす風の音を一致させることができる。
(三回と書きましたが、明日最終回です)
同じ本や映画について話をしてみると、自分の感じ方そのまま相手の口から出てくるような気がする。話の勘所がぴたりぴたりと一致するので、細かなところの説明も必要がないために話が早い。いきおい、話題は留まるところを知らず、どこまででも広がっていく。会ってどれほどもたってないのに、昔からよく知っている人のようだ。言葉を超えて、分かり合えるように思える。
そういうとき、わたしたちは「運命的な出会い」を感じたくなるのだが、おそらくそれは運命というより、ふたりの持っている言葉の意味が近いということなのではないかと思うのだ。
言葉の意味というのは、人によって、実は微妙にちがうものである。
イヌが好きでたまらない人と、イヌに噛まれたことのある人と、小さいころ、ほえつかれて怖かった人と、氷をぶつけたことのある人(これはわたしです)と、イヌを見たことのない人では「イヌ」といった言葉を耳にしたとき、あるいは目にしたとき、その言葉が結ぶ意味はかなりちがう。イヌよりももっと抽象度の高い、たとえば「平和」とか「戦争」とか「政治」とか「愛」とか「欲望」とか「権力」とか、まあいくらでも続けることができるけれど、そういう言葉はますます意味が人によってちがっているはずだ。
話がかみ合わない、何か、この人の言っていることはちょっとちがう、と感じるのは、おそらくふたりが使っている言葉の意味がずれているせいだ。
さらに、昔はあんなに話がはずんだのに、ひさしぶりに会ったら、何か話がはずまなかった、ふたりとも変わってしまったんだ……というときは、おそらく時の経過や経験によって、お互いの言葉の意味がずれてきたためだろう。
ほかの人間ばかりではない。同じ自分でも、日によって、気分によって、微妙に意味は揺らいでいく。あるいは、過去の日記にたまらない恥ずかしさを覚えたりするのは、なによりも、当時の自分が意味づけていた、その内容の未熟さが恥ずかしいのだ。
もちろん話がかみ合わなかった理由は、相手の歯に青のりがついていたせいかもしれないのだが、もしかしたら、ふたりで使う同じ言葉の意味が、それぞれにかなりちがっていたためなのかもしれない。
わたしたちは多くのとき、話をしていても言葉そのものではなく、それを使って何ができるか、ということにしか意識が向かない。コミュニケーションの手段であり、媒体であり、透明なツールであるように思ってしまう。
あるいは、話が合わないのは、相手の言うことがおもしろくないからだ、あるいは、相手の考え方があまり好きではないから、さらには相手そのものがきらいだからだ、というふうに。
だが、たまにそのずれに気がついたようなとき、たとえばわたしが「性質の偏り、傾向」という意味で「性癖」という言葉を使っていると、相手が怪訝な顔をする。こういうとき、わたしたちはハッと言葉の方に意識が向かう。
ほかにも、言葉そのものに意識が向かうときがある。それはこんなとき。
わたしはいまだにこれが言える。記憶のままに書いてみて検索したら、一字一句まちがっていなかった。
ときしもぶりにく、しねばいトーブが、
くるくるじゃいれば、もながをきりれば、
すっぺらじめな、ポロドンキン、
ちからのピギミイふんだべく。ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』生野幸吉訳 岩波書店
わたしはこの「ジャバウォッキー」の詩を岩波版の生野訳で読んだためにこうなっているのだが、訳者によってかなりちがうようだ(原詩に関してはwikipedia ジャバウォックの詩)。
小さい頃、この詩が楽しくて、何度も何度も繰りかえし口にしていて、いまだに覚えている。言葉遊びに意味を求めてもしかたがない。だから、忙しい大人は「ジャバウォッキー」を見ても、だからどうした、と思うのかもしれない。
さて、二葉亭四迷である。
まず二葉亭四迷が明治二十一年に訳した「あひびき」の冒頭をここにあげてみよう。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺(かば)の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖(あたた)かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧(さか)し気(げ)に見える人の眼のごとくに朗(ほがら)かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽(かす)かに戦(そよ)いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌(しゃべ)りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。
初版が1962年の河出書房世界文学全集に所収されている「あいびき」ではこうなっている。
九月なかばごろの、ある秋の一日、私は白樺林のなかに腰をおろしていた。その火は朝早くから小雨がぱらつき、その晴れ間には時どき生暖かい日影がさして、気まぐれな空模様であった。やわらかそうな白雲が空一面に広がるかと思うと、ふと一瞬の間にところどころ雲切れがして、むりに押し分けられたような雲間から、澄み切った、優しい青空が、まるで美しい人の目のようにのぞいて見えた。私は腰をおろしたなり、あたりを見まわして、じっと耳を澄ましていた。頭上では木の葉がかすかにざわめき、その葉ずれの音ひとつから、今が一年のどの季節であるかを、知ることができた。それは楽しげな、笑いさざめくような春のわななきの音でもなければ、夏に聞く柔らかいささやきや長い話声でもまた晩秋のおずおずした、寒々しい、舌足らずの片言でもなく、ようやく聞こえるか聞こえないかの、眠たげなおしゃべりの声であった、微風が梢ごしにそよそよと吹き渡っていた。ツルゲーネフ『猟人日記』池田健太郎訳 世界文学全集9 河出書房
確かに下の池田訳と比較すると、二葉亭四迷の日本語はひっかかる。下の文章が言葉をすっと通り抜け、意味の世界に入っていけるのに対し、上のそれでは、言葉を否応なく意識させられてしまう。
ところが、音読してみるとわかるのだが、独特のリズムがある。このリズムに関しては、二葉亭四迷自身がこのように言っている。
されば、外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞(おそれ)がある。須(すべか)らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねばならぬと、こう自分は信じたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫(みだ)りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移そうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏(ひと)えに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労したのだが、さて実際はなかなか思うように行かぬ、中にはどうしても自分の標準に合わすことの出来ぬものもあった。で、自分は自分の標準に依って訳する丈けの手腕(うで)がないものと諦らめても見たが、併しそれは決して本意ではなかったので、其の後(のち)とても長く形の上には、此の方針を取っておった。
ロシア語がわからないので、これでもほんとうにそんな芸当をやっているのか確かめることはできないのだが、二葉亭四迷のことだから、おそらく意味以上に形をそのまま移すように努めているのだろう。
どれだけの言葉を集めて、意味と形にかなうその「一語」を選んだのだろう。
文学史の本を開けば、どれにもかならず「言文一致体の創始者」として二葉亭四迷の名前はあげられる。
言葉はもちろん一人の人間の力によって成立するものではない。二葉亭が採用したのは、「圓朝の落語」の話体だった。
それでもここに、わたしは生まれたばかりのみどりごのような言葉を見るのだ。
わたしがこの『あひびき』のなかにも出てくるのと同じ言葉を使うことができる。それに自分の空の見方を、葉をそよがす風の音を一致させることができる。
(三回と書きましたが、明日最終回です)