陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ペーパーナイフの話

2006-05-26 22:28:00 | weblog
(※すいません。今日、ちょっと忙しくて時間がなかったので、サイトの更新は明日になります。今日はつなぎの話です)

これといって贅沢なものは持っていないわたしだけれど、持っているもののなかで、一番使っていて贅沢な気分を味わえるものが、ペーパーナイフだ。かなり前の誕生日に、プレゼントとしてもらったゾーリンゲンのペーパーナイフで、ふだんは皮のキャップをかぶせて、ペン立てに突っ込んである。

最近、私信を受け取ることもまれになって、もっぱら切るのは、第三種郵便、ダイレクトメールはたいてい封も切らず屑かごに直行するのだけれど、クレジットカードの請求書や、電話料金や携帯料金の請求書、届いた雑誌の封といったところだろうか。それでも、30cmほどの長さの、ある程度、重さがあることが心地よいペーパーナイフを手にとって、封筒の隙間に刃先を差し入れ、すっと切り開く。

ペーパーナイフが紙、それも、少し厚手のクラフト紙や画用紙を切っていくときの感触というのは、独特なものだ。カッターナイフを使うと、切れ味が良すぎるために、逆に折り目に沿ってまっすぐ切ることがむずかしい。切り開くのではなく、カッターの方が、紙を勝手に切りに行ってしまうのだ。かといって、定規などを使うと、こんどは切れ味が悪すぎて、力も必要になるし、途中で皺が寄って止まってしまったり、のこぎりの刃のように切れ端が波形になったりして、これまた具合が悪い。ペーパーナイフを使ったときの「気持ちよさ」というのは、ペーパーナイフにしかないものなのだ。

以前、翻訳の『ネコマネドリの巣の上で』を訳していたとき、憎きバロウズ夫人の殺害計画を胸に秘めたマーティン氏が、バロウズ夫人宅で凶器を物色する場面で、ペーパーナイフに目が止まる、ということがあった。

これを訳しながら、わたしも机の前にあるペーパーナイフを手にとって見たのだが、とてもではないけれど、凶器の候補にすらあがりそうもない、先の丸いものだ。どうやったってこれで人間を刺すことはおろか、かすり傷ひとつ負わせることはむずかしいだろう。それとも、もっと他の、凶器にもなりうるほどのごついペーパーナイフもあるのだろうか。それでは日常の扱いにはずいぶん危なっかしいような気もする。

昔の本は袋とじになっていて、それを一ページずつペーパーナイフで切り開きながら読んでいたらしい。おそらくそれは、紙の悪いペーパーバックなどではない、厚手の質のいい紙の本だろう。それはそれで手間ではあっても、たいそう贅沢な気持ちが味わえたことと思う。その時期、本を読む喜びの何割かは、間違いなく、切り開きながら読む、という動作にあったことだろう。

袋とじといって思い出すのは、ビル・バリンジャーのミステリ『歯と爪』だ。これはわたしが小学生の頃から本屋の棚に並んでいたもので、アガサ・クリスティーやエド・マクベインを一冊ずつ読んでいくのを楽しみにしていたわたしは、この本の存在は、早いうちから知っていた。書棚から抜くと、文庫本の後半五分の一ぐらいのところから、確か青い紙でくるんである。そうして帯には意外な結末が待っている、途中でやめることができたら、代金はお返しします、と書いてあるのだ。そんな演出をしなければならない本に、一抹のうさんくささを覚えたわたしは、何が書いてあるのだろう、そんなにおもしろいんだろうか、と思いながらも、結局は読まないままになっている。この文章を書くために検索してみたところ、当時の本の多くが品切れ状態になっているのに、この本は、アマゾンでもまだ取り扱っているらしい。やはり演出が効いたのか、あるいはほんとうにおもしろいのか。

ただ、記憶によると、青い紙はありふれた色つきの西洋紙だったように思う。ペーパーナイフで開いてみても、そんなに気持ちよくはないような気がする。だから、「袋とじをペーパーナイフを使って」開けるために、長い命脈を保っているこの本を購入しようとは思わない。

もしどなたか読んだ方がいらっしゃったら、感想、教えてください。


ということで、ほんとに明日はアップしますから、またヨロシク。

それじゃ、また。

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