陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

不吉な話

2011-04-28 23:34:22 | weblog
11日というのは、いろんな災害が起こる不吉な日だ、ということを言う人がいた。こちらは冗談だと思って、なるほどねえ、といい加減なあいづちを打っていたら、相手は大まじめで、いま話題になっているんだよ、という。9.11も先日の東日本大震災もみんな11日に起こっている、そもそも1855年の11月11日には 安政の大地震が起こって……と、なんだかんだ二十ほどあげてくれた。30日か、31日ある中で、その日ばかりにいろいろなことが起こるなんてあり得ない、というのである。

だけどさ、月は別々なんでしょ、どの月でもいいのなら、11日というのは、1年のあいだに12日あるわけだし、1855年から今年までなら156年ある。そのあいだに11日は1872日もあるのだから(実はわたしはこのテの暗算は、中学の時にコツを教わって以来、得意なのである。割り勘のとき以外、ほとんど発揮する機会のない能力なのだが)、1872日ものあいだ、それぐらいしか大きな事件がないんだったら、多いとは言えないんじゃない? と言ったら、ずいぶん冷ややかな目で見られてしまった。
また世間を狭くしてしまったかもしれない。やはり、一緒に驚くべきだったか。

こうした「不思議な暗合」というのは、考えに一定のバイアスがかかった結果、いくつかの点が見えなくなってしまっているだけのことで、実のところ、不思議でもなんでもない。だが、おもしろいのはこのように取りざたされるのは、決まって「不吉な日」であって、「幸運な日」「すばらしいことがたくさん起こった日」ではない。星占いなどではかならず「今月のラッキー・デー」などという項目があるのに、たとえば「毎月22日は幸運なことばかり起こる」という話は聞いたことがない。

考えてみれば、戦争の勃発や、火山の噴火や大地震や大たつまきなどの大規模自然災害、多くの人が巻き込まれる大事故などのように、わたしたちが「出来事」としてとらえるのは見方によっては「不吉」と呼べるようなことなのかもしれない。

そしてまた、「11日が不吉な日」と考えることは、一種の予言でもあるのだろう。毎月11日が来るたびに、「今日は11日だ、何か良くないことが起こるかもしれない」とあらかじめ予期しておいて、悪いことが起こったときのショックを最小限にくい止めようとする心理が、どこかで働いているのではあるまいか。

そこで思い出すのは、今回の原発事故をめぐる報道に関してひとしきり言われたのが、事態は報道されるよりよほど危機的なもので、政府や東京電力が事態を隠蔽している、「安全」というデマを垂れ流している、ということだった。

確かに「身体に危険のあるレベルではない」「安全と考えられる」といった発言は、繰りかえされれば繰りかえされるほど不安になる。だが、ここまで多くの計測器が設置され、日々数値が報道されているのだから、「隠蔽」を完遂しようと思えば、よほど組織的計画的になされなければならないように思える。

計測データにしても、さまざまなところでさまざまな人がおこなっているわけだし、なにしろ相手にしているものが微量だし、放射性物質の特定すらも簡単ではなかろう。それこそ空気を集めて、水を入れてシャカシャカ振って、リトマス試験紙を浸して……というものなどではないのだ。だから、厳密な整合性が得られないにしても、それだけをもって「隠蔽」と批判することは、あまり意味がない。

「隠蔽」を主張する報道の中には、ソースを海外メディアに求めているものも少なくないが、たとえば文部科学省から出されるデータとそれが異なっているからといって、たちまち「隠蔽」ということになるのだろうか。いまの段階でどちらが正確であると果たして結論を出すことができるのだろうか。

さらに言ってしまえば、「どのくらい危険か」の根拠となる過去のデータそのものが、圧倒的に不足している。幸か不幸か大規模な原発事故のデータは、チェルノブイリ、スリーマイル島の二回分しかないし、それに加えても広汎な人体の被爆/被曝の経験は、その二つの原発事故を除けば、二度の原子爆弾と第五福竜丸ぐらいしかないのだから、蓄積されたデータといっても限りがある。この面でも「未曾有の災害」なのである。どう考えても、的確な分析を時々刻々と出し続けよ、という要求は、気の毒な話のように思える。

「隠蔽」を批判する人は、おそらく「東電」と「政府」が邪悪な意図をもって「隠蔽」工作をおこなっていると考えているのだろうが、記者会見の映像を見る限り、そんな工作が行えるほどの戦略もありそうではなく、行き当たりばったり、首尾一貫した方針もないまま、弥縫策に追われているようにしか見えない。さまざまな情報が出てきて、自称他称の「専門家」がいろんなことを言っているのは、「隠蔽」しているのではなく、炉の中がほんとうのところ、どのような状態になっているのか、まだはっきりとはわかっていないからないからではないか。

誰もほんとうのことがわからない状態よりは、いっそ「隠蔽工作」を行っている「悪の権化」がいるもの、と想定できる方が、いっそ良いのかもしれない。そうなら、悪辣な彼らを取り除けば、事態は好転するのだから。

事態が危機的なことはわかっている、自分はそれを知っていて、こうやって批判しているのに、無能な政府が、悪辣な東電が……と責任を転嫁させる対象がほしいのではないか。

「11日に起こる不吉なこと」のように、ある仮説を裏付けようと思えば、数字だろうが、出来事だろうが、いくらでも引っぱって来ることができる。だが、それがほんとうに仮説を裏付けているのか。それをどうとらえるかは、結局は自分なのだ。

まあ、その結果、世間を狭めることになるのかもしれないのだが。


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1 コメント

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Unknown (革ヤス)
2012-04-01 04:39:15
趣旨として、帰納法の欠点をそのままの結論にした様なものですね。
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