陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

夢の話

2007-05-30 22:46:03 | weblog
明け方、目覚める前にYesの "Time and a Word" を夢のなかで聴いた。
アンダーソンが "it's right for me," と繰りかえし、最後のトランペットがフェイドアウトしていくところまでしっかり聴いたので、朝、起きてしばらくはちょっと変な感じだった。
こういう夢は、いったいどうして見るのだろう。

夢というのは遡航的に作り上げられる、という話を、以前聞いたことがある。
その人は、消防車が来るのが「オチ」になる内容の夢を見ていて、目が覚めたら、実際に消防車のサイレンが外で聞こえていた。
かなりの長さの、起伏のあるストーリーの夢の、まさに「オチ」になる部分で、サイレンの音を聞くというのは、ひどく不思議で、こんな偶然もあるのか、と思ったのだそうだ。
だが、のちにその人は、ある機会で夢のメカニズムを聞く。つまり、消防車のサイレンがきっかけとなって、一連のストーリーがほとんど一瞬のうちに作り上げられたことがわかったのだそうだ。主観的にはかなりの長さの夢であるように思われても、それは目が覚めて、いわば帳尻を合わせているのをそう錯覚しているに過ぎないのだとか。

「邯鄲の夢」というが、夢は本来そういうものであるらしい。

そう言われてみれば、夢の時間というのは、ひどく曖昧だ。昨日見た夢か、一昨日見た夢か、判然としないこともあるし、繰りかえし見る夢、というのも、いったい何度同じ夢を見たのか、はっきりとはしない。

ただ、起きてから忘れられない夢というものはあるもので、それを人に話したりすると、話すうちに、次第にはっきりしてくる。それも無意識で編集作業を行っているせいなのだろうか。

夢の中で編集作業をすることもある。
夢を見ていて、ここはこうするともっとおもしろくなるな、と考えて、もういちど最初から作り直した夢を見直すのだ。一時期わたしはそういう夢をよく見ていたのだが、これをやると、朝起きたときにものすごく疲れるので、意識してやめてしまった。

気になっていることが、そのまま夢に出てくるときもあれば、会う約束をしていて、楽しみにしていたのに、どうやっても家から出られない夢を見るときもある。今朝方のように、近頃ではほとんど思いだすこともない曲をフルコーラスで聴くこともあるし、フィンランド語でしゃべられてもわからないなあ、と途方に暮れたこともある(もちろんわたしはフィンランド語など知らないのだが、夢に出てきた外国人がまくしたてる言葉が「フィンランド語」であることはどういうわけか「わかって」いる)。

予知夢もいちど、見たことがある。
中学の時、わたしが小学校の学年誌に投稿して採用された記事のことが、不意に夢に出てきたのだ。すると、翌日、その記事の載った雑誌をクラスの子が学校に持ってきて、「あいつ、こんなことを書いてたんだぜ」とほかの子にも見せたのだ。

どうせならこんなくだらない予知夢ではなくて、もっといい予知夢が見たいものだ。

「鏡よ、鏡」、今日はアップできませんでしたが、明日はかならずやります。
ええ、自分にプレッシャー、かけてます(笑)

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