陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その5.

2010-05-30 22:40:12 | 翻訳
その5.


八月十六日

 今日は興味深い知らせがあった。あの子が言うには、シャルルさんがふたりの結婚式を、来年挙げるぐらいなら今年に挙げたってかまわないんじゃないか、と言い張ったらしい。そうしてどうやら母もそちらの方向へ改心させてしまったようなのだ。

わたし自身は先送りする理由はみつからない――父のような立場にある人が、いままで相手の人となりや挙式の時期などのことがらに関して、意見を表明する機会が一度もなかったことをのぞけば、なのだが。お父さんは、自分の運命を静かに受け入れている。ともかくお母さんとキャロラインは、わたしたちと話し合うために帰国することになった。どうやらキャロラインも意見を変えて、わたしに会うまでは具体的に話を進めないことに決めたようだ。

キャロラインは書いている。お姉さんとお父様が認めてくださるのなら、結婚式の日取りは三ヶ月後の十一月にするつもりです、式はこの村で挙げて、もちろん花嫁の付き添い役にはお姉さんにお願いします……。ほかにもあれやこれやの細かいことを。

うちの古い教会の祭壇で、ロマンティックな式を挙げれば、村の人たちはさぞかし感銘を受けるにちがいない、あの子が思い描いているのは、そんな絵のない絵本だ。主役を演じるのは自分――外国の紳士が、ちょうど神様が天から降りてきたようにあの子を見つけだし、勝ち誇ったようにさらって行く、という筋書きだ。

あの子は、わたしが悲しいのは、たったひとつ、お姉さんと離ればなれになることだけれど、それもお姉さんが来て、何ヶ月も滞在してくださればいいのよ、と書いている。かわいらしいおしゃべりを読んでいると楽しくもなってくるけれど、キャロライン、わたしはそのことを考えただけで悲しくなるのよ。成り行きからすれば当然なのだけれど、わたしはもうあなたのガイドでも、カウンセラーでも、誰よりも親しい友だちでもなくなってしまうの。

ムッシュー・ド・ラ・フェストは、キャロラインのように感じやすい、傷つきやすい子の保護者として、願ってもない人物なのだろう。そのことをわたしはありがたいと思っている。それでも、わたしはまだ、あの子の目を通してのあの方しか知らないことを忘れないようにしなくては。あの子のために、どうしてもあの方にお会いして、大切な宝物を自分のものにしようという人がどんな人か、よくよく見定めておかなければならない。婚約をかわしたのは、確かにいささか焦りすぎた。この点に関しては、父とわたしは意見を一にしている。それでも、幸せな結婚生活のなかには、ほとんど期間もないままあわただしく約束が交わされたこともあるだろうし、母もすっかり満足しているのだから。



八月二十日

 今朝、恐ろしい知らせが入り、わたしたちはひどく心を痛めている。この時間になるまで――いまは夜中の十一時半過ぎだ――、自分の考えをまとめることもできないでいた。こうしてなんとか書こうとしているのも、どうにも落ち着かなくて、何もしないではいられないからだ。いまはただひたすら待つこと以外に、何もできないでいる。

母がヴェルサイユで重篤な病に倒れたのだ。ふたりは今日明日の内に、帰国の途に着くはずだったのだが、いまとなってはそれも延期しなくてはならない。動かせるような状態ではないのだから。母のように体重が過重傾向にある女性が出血するというのは、良くないことにちがいない。しかもキャロラインにせよ、マーレット家の人びとにせよ、決して大げさに伝えてきたわけではないだろう。

手紙を受けとるや、お父さんは即座に母の下へ駆けつけることに決めた。そうしてわたしは一日中、その出発準備に追われた。数日間家を空けるとなると、出立前に手配しておかなければならないことがいろいろある――何よりも、今度の日曜日の礼拝を執り行ってくれる人を捜さなければならなかった。なにしろ日がないことなので、探すのも並大抵の苦労ではなかった。それでも最後には、すっかりお年を召されてしまったダグデイルさんにお願いできることになり、聖書の朗読は、ハイマンさんが手伝ってくださることになった。

 わたしとしては、できることならお父さんと一緒に行きたかった。そうすれば母を待つ不安な思いから逃れることができるだろうから。けれども誰かが残らなければならないし、となると、わたしが一番融通がきいた。ジョージが駅まで父を送っていき、最終列車に乗ることができた。そこから真夜中に出帆する船に乗り、明朝にはアーヴルに着けるだろう。お父さんは海がお嫌い、とりわけ夜の渡航がお嫌いだ。不快な思いをなさらないまま、向こうへお着きだとよいのだけれど。お父さんはふだんはいつも家にいらっしゃるし、ちょっとした厄介ごとにもなかなか立ち直れない方だから、心配だ。なにしろこうした用件なのである。たとえつつがない旅であろうと、悲しいことには変わりない。わたしが母の下へ向かうべきだったのだろうか。


八月二十一日

 昨夜はひどく気分が重く、書きものをしながら、眠り込みそうになってしまった。お父さんはいまごろパリに着いたにちがいない。たったいま、手紙が来たらしい……。

追記

 手紙は、切迫した調子で、お父さんの出立を訴えている。気の毒なお母さんは具合が悪くなっているのではないか、とみんな心配しているのだ。キャロラインはどうしているのだろう。ああ、一目母に会うことができるなら。どうして一緒に行かなかったのだろう。

追記

 椅子から立ちあがり、窓から窓へと歩き回ってから、また戻ってきて手紙を書く。もしお母さんが亡くなったら、かわいそうなキャロラインの結婚はどうなるのか、わたしには想像もできない。お父さんが間に合って、お母さんと話ができますように。そうして、キャロラインとまだお父さんもわたしも会ったことのないムッシュー・ド・ラ・フェストについて、どうしたらいいか方針を聞けますように。緊急事態で何かと働けるわたしが、宙ぶらりんのまま、待つしかない状態でいる。


八月二十三日

 父からの手紙には、悲しい知らせが書かれていた――母の御霊が天に召されたのだ。かわいそうなキャロラインは、うちのめされてしまっている――わたしなどよりあの子の方がずっと、母のお気に入りだったから。慰めになるのは、お父さんは間に合って、母の口から、あの子の式をできるだけ早く挙げてやってくれ、という懸命の願いを聞き届けることができたことだ。ムッシュー・ド・ラ・フェストのことを、母はすっかり気に入っていたようだ。いまとなってはおそらく、お父さんも批判などをせず、あの方を義理の息子として受け入れるのが、尊い義務であるように思う。


(この項つづく)





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