陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」その10.

2010-12-12 23:24:50 | 翻訳

その9.


「五年生の中でぼくは一番年が下なんです」ベイジルはよく考えもしないで言ってしまった。

「どうやら君は、自分がずいぶん頭がいいと思ってるようだね」ルーニー先生はベイジルに非常に厳しいまなざしを向けた。だがそのうち、何か思うところがあったらしく態度が急にかわり、そのままふたりは黙って列車に乗っていた。列車は家々の密集する町にさしかかった。ニューヨークも近くなったころ、先生はまた口を開いた。今度は穏やかな、あらかじめ入念に考えていたような口ぶりだった。

「リー、君を信頼してみようと思う」

「はい、先生」

「君はお昼でも食べてショーを見に行けばいい。私は自分の用があるから。それが片づいたらショーに行くことにしよう。もし行けなかったとしても、外で待っているから」

ベイジルの胸は踊った。「わかりました、先生」

「で、学校ではこのことを口外してほしくない――つまり、私が自分の用を足しに行くということを、だね」

「口外しません」

「さて、君が本当に口を閉ざしていられるかどうか、試しにやってみようじゃないか」冗談めかしてそう言ってから、お説教をするような調子で付け加えた。「酒はダメだ。わかっているな?」

「そんなこと、するわけがありません!」夢想だにしなかったことを言われてベイジルはひどく驚いた。酒など口にしたこともなかったし、頭の隅をよぎったことすらなかった。夢の中でのカフェの場面でこそ、味もわからない、本物とはおよそ縁のない“シャンペン”を口にしたものだったが。

 ルーニー先生の忠告に従って、ベイジルは昼食を取りに駅近くのマンハッタン・ホテルに行き、クラブ・サンドウィッチとフレンチフライ、チョコレートパフェを注文した。目の隅で、周りのテーブルに着いているニューヨーカーたちを観察した。調子が良く、にこやかで、楽しむことにも倦んだような人びとが、実は彼らは中西部の町からやってきた仲間だとしたらどうだろう。それでいて一度も途方に暮れたりしたことがない、などという物語をまとわせながら。学校はまるで荷物のようにふりほどかれ、もはやかえりみられることもない、遠くのざわめきでしかなかった。午前中受け取って、ポケットの中に入れっぱなしの手紙も、開封するのを引き延ばしていた。というのもその手紙も、学校の生徒ベイジルに宛てて来た手紙だったからだ。

 チョコレートパフェがもうひとつ食べたかったが、忙しげなウェイターをこれ以上わずらわせるのは気が進まず、手紙を開封して広げてみた。母親からの手紙だった。


 親愛なるベイジル

 取り急ぎお知らせします。電報を打って驚かせたくはなかったし。お祖父様が水治療養のために外国へ行らっしゃるというので、わたしとあなたにも来るように言ってくださっています。そうなると、あなたも今年の残りはグルノーブルやモントレーの学校で語学の勉強ができるし、家族一緒にいることができます。それもあなたがそうしたければ、の話ですが。

あなたがセント・リージス校を気に入っていて、フットボールや野球を楽しんでいるのはよくわかっています。もちろんそういうことは向こうではできなくなるでしょう。でも、その代わりに、良い気分転換ができますし、たとえイエール大学に入学するのがもう一年遅れたとしても、別にかまわないと思うのです。ですから、いつものように、あなたには自分で判断してほしいのです。この手紙があなたのところに届く頃には、わたしたちは家を離れ、ニューヨークのウォルドーフホテルにいるはずです。あなたが学校を続けたいと決心したとしても、ホテルには会いに来てください。しっかり考えてね。

            愛をこめて

               母より





(この項つづく)




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