(*一週間ほど仕事が修羅場となるので、その間だらだら~とこのネタを続けていきます。そのうち途絶えたら、仕事で二進も三進もいかなくなってるんだな、と私の不幸を笑ってやってください)
現在、ウチにはキンギョが68匹いる。
常時稼動している水槽が四台、加えて現在病気療養中の金魚ICUともいうべきプラスティック水槽がひとつ。
ICUと体調23cmの「おとっつぁん」がいる30cm水槽を除いた残りの三つはどれも過密飼育状態で、水槽のコンディションを維持するのも一苦労、夏は毎日どれかの水槽の水換えをしていた日々だった。
毎日毎日帰ったらバケツを下げて、ベランダ(汲み置きした水がある)-水槽-風呂場(換えた水を捨てる)の間を何度も往復しなければならない、とこぼす私に、
「前世はネコで、金魚たちをいじめた罰として、キンギョの世話に追われる身になったとか」
とありがたいお言葉をかけてくださった方もいたが、不可知論者である私には、前世が判明したところで(?)うれしくもなんともない。
これだけ苦労したにもかかわらず、この夏から秋にかけて、旅行から帰ってみると、キンギョが一匹死んでいたり(当然水槽はリセット――詳細は後述――)、夏の暑さも峠を越したころ、一夜にしてキンギョが四匹ほど死んでいたり(この水槽もリセット)、朝になってみるとはらわたを食いちぎられたキンギョの死骸が、外掛けフィルターの吸い込み口でゆらゆら揺れていたり(この水槽も水質悪化が考えられたので、リセット)、水温が下がるにつれて、水カビ病の持病を持っていたおとっつぁんの水槽に同居していたチビ金が、ある朝カビだらけになって死んでいたり(当然この水槽もリセット)という事態が続いて、
「いったいなんでこんな目に遭わなければいけないんだ」
と思わずにはいられなかった。
そうなのだ。
ウチには金魚が多すぎる(本も多すぎるが)。
だがしかし、これでも必死で減らしたのだ(本もできるなら減らしたい)。
一時期は二百匹を超えるキンギョを抱えていたのだから。
そのころは人に会いさえすれば「キンギョ、飼わない?」と声をかけていたものだったが、水槽をあげる、と言ってくれた人はいたものの(もちろんその水槽はありがたくいただいた)、もらってあげよう、と言ってくれる人はいなかった。
それどころか、キンギョというのはだれもが一度は飼っていて、引っ越しの時に川へ流したり(!環境破壊だろうが!)、カメと一緒にして喰われたり、水槽に入れたまま忘れてたら藻だらけになったなかで元気に泳いでいて驚いた、といった経験をしていたことを知った。
実は、キンギョというのは、私が知らなかっただけだが、極めて一般的な、いわば国民的ペットであったのだ。
いったいなぜ、ペットとして、あまねく日本国内の、ネコがいる家以外の家庭(私の生家にはネコがいた)にキンギョが行き渡ったのか。
そうです。
あの
「金魚掬い」
のせいなのだ。
ウチのキンギョも、例外ではない。
もともとは「金魚掬い」で貰ってきたキンギョが、諸悪の根元、じゃなかった、そもそもの始まりなのだ。
(次回はその話を)
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