陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

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2008-06-08 22:51:12 | weblog
以前ブログで書いたつなぎの記事をもとに、「転がる石としてのあたしらの人生」を「この話したっけ」のひとつとしてアップしました。

その昔、青山南のエッセイで『赤んぼとしてのあたしらの人生』(ユック舎)という本を読んで、おもしろいタイトルだなあと思っていました。ふたりのお嬢さんが徐々に大きくなる毎日が、絵本の紹介にからめながら記されていて、当時はまだなかったんですが、雰囲気としてはちょっとブログのような本でした。

いつかそれを使ってやろうと思いつつ、ここで使ってみたんです。
え? どんなことが書いてあるかって?
それは読んでからのお楽しみ、って、もう一度こっちでアップしちゃってるんですが、細かいところはいろいろ書き換えてあるので。

またお暇なときにでも。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

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2 コメント

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Unknown (通りすがり)
2008-06-12 17:54:20
記事を読みました。
「秋葉原無差別殺人事件」の犯人のことを思い出しました。彼もまた学力があるのに失敗した人物だったと思います。犯人についてはどのように考えておられるのでしょうか。
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なにも、わからない (陰陽師)
2008-06-13 09:30:21
通りすがりさん、初めまして。
記事を読んでくださって、それから書きこみまでしてくださって、どうもありがとうございました。

> 「秋葉原無差別殺人事件」

わたしにはこれについて何ごとかの意見が言えるほど、その事件のことについて、あるいは「犯人」とされる人物について知りません。

以前、「報道の読み方」
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/media.html

でも書いたのだけれど、新聞の報道はひとつの「解釈」です。
原因と結果の物語、とも言えます。
「秋葉原無差別殺人事件」という結果を受けて、原因をさかのぼろうとしている。

けれど、人間の意識というのは重層的かつ流動的なもので、そのひとつだけを取り出すことに、果たして意味があるんだろうか、と思うんです。

血液型占いとか、星占いみたいに、人間をいくつかの言葉にあてはめて類型化することは前から行われていました。だけど、それはみんなどこかで「占い」と思ってるところがありますよね。それをたとえばB型であることを入社資格にするような企業は、どこかうさんくさいものとして社会から見られているように思います

事件が起こって、この人物はこうだった、ということにしても、星占いや血液型占いの「性格類型」とどこがちがうんだろう。ひとつの筋書きに沿って、それに当てはまるさまざまな出来事をピックアップしているだけじゃないか、って。

いまマスコミで作り上げられつつある彼のプロフィールにしても、どこまで彼のほんとうの姿なのかはわからない。

たとえば、彼のプロフィールに当てはまる人ってすごく多いと思うんです。

> 学力があるのに失敗した人物

になると、ほんと、星の数ほどいると思います。
わたしだって小学校のころはよくできましたもん(笑)。
ほとんどの人が、いずれかの段階で、トップから落ちていく。それがいまの受験というシステムですから。
そして残ったひとにぎりの「トップ」でさえも、それは単に「学力」という限定された意味での能力にすぎません。

事件が起こると、わたしたちはそこに意味を求めます。意味に渇いていて、あらゆるものに意味を求めてしまうのが人間だから。だけど、絶対にほんとうのところはわからない。納得なんてできない。

だからこそ、仮にその「原因」があきらかになったとしても、それと同じ「原因」を持つ人が、同じことをやることにはなりません(ひとつの物語を与えられて、それをなぞる人は出てくるかもしれませんが、そのこととは多少意味がちがいます)。

だからね、その事件に意味があるとしたら、どういうやつが危ないか、ではなくて、その事件を、自分を写し出す鏡にすることだと思うんです。
その意味でなら、原因を考えることは有効だと思う。

まだ情報もほとんどありませんし、実際にそれで亡くなられた方もいらっしゃるような出来事について、軽々しく何ごとかを言うことは、わたしにはできません。
せっかく聞いてくださったのに、こんなことしか言えなくて申し訳ないのですが。

また、これに懲りずに遊びに来てくださいね。
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